無題

タイトルとか考えるのが恥ずかしい

How to 洗脳~洗脳の手引き~

 

    例えば、あなたの友人が気まぐれにいい部分を見せました。2人でコンビニに寄ってあなたはジュースを、友人はピノを買いました。コンビニから出るなり、ピノを開ける友人。1つを口に運ぶと、続け様にもう1つとってそれをあなたの方に向けて言います。

 

    「1個いる?」

 

    あなたは少し面食らいながら「ありがとう」、そう言ってピノを食べる。面食らったのは、その友人がそんな優しさを見せたのが初めてだったから。その友人に会うのは久しぶりで、しばらく会わないうちに変わったのだろうか?だとしたら、いい変化だ。これからもそういう優しさを持ち続けて欲しい。でもこれがもし気まぐれだったら。それは少し残念だ。

 

    じゃあ洗脳しよう。

 

    もしかしたら気まぐれっていう線もまだあるから、いっそその友人をいつもピノ1個くれる人間に書き換えてしまおう。方法は至って簡単。こう言うだけ。

 

    「6個しかないのに1つくれるなんて優しいね。」

 

    するとそいつは、ピノくれたことが気まぐれだったとしたら、それを褒めてもらえて嬉しく思うだろう。ピノ1個あげるだけでこんなに褒められるのか、と感じた友人はそれ以降あなたの前でピノを食べるとき、「1個いる?」と聞くようになります。その度にあなたは彼のその優しさを讃えましょう。そしてしばらくそれが続くと留めの一言。

 

    「お前はいつもピノを1つくれるよな。ありがとう。」

 

    はい、これで洗脳完了。それからはそいつ、褒めなくても必ずピノを1個くれます。もうその友人は勝手に自分のことをあなたに必ずピノを1つあげるやつと認識した。言葉のパワーって怖いよな。簡単に人を変えてしまうんだ。みんなも言葉の持つパワーに自分を変えられた経験はありませんか?俺はあります。

    大体いつも、「あの子気になるんだよな」って誰かに言ったら、実際は別に気になってなかったのにそれ以来気になってしまうし、まだ好きじゃないのに「好きかもしんない」って言うと、知らぬ間に好きになってる。それで付き合った人とは、別れてから俺は本当にあの子が好きだったのだろうか、と首を傾げる。これ、完全に自分が言った言葉に洗脳されてる。

 

    洗脳なんて言っても、たかがこれくらいのことかよ。そう思う人もいるでしょう。好きなあの子を思うように操りたかったですか?嫌いなあいつをめちゃくちゃにしてやりたかったですか?でも、ごめんなさい。洗脳なんて実際はこんなものなんです。そもそも、こんなこと書いてる俺が言うのもなんですけど、洗脳なんてしたらダメなんですよ。だから絶対、「困ってるときにお前はいつも俺を助けてくれるよな。」なんて言って、そいつを助けてくれるやつに洗脳して、困ったふりして金を借りるなんてしたらダメですからね。念押しもしたので、今回はこの辺りにしておきます。次回、How to 消息の絶ち方です。サヨナラ。

なんでもかんでもアンチって言うのやめろ。マジで。

 

    友達からさっきLINEがきた。なんかやけになんでもかんでも悪態つくから、お手本みたいにやさぐれてるなって思ってたんだ。最近起きた良くなかったことのあれこれに関しての愚痴はまあわかるんだけど、しまいには全然関係ないことにまで悪態つき始めて。

    俺とその子は同じアーティストが好きで知り合った。でも今はお互いそのアーティストからは少し離れてて、正直なところファンと言うほどの熱量は既になく冷めてしまっていた。で、その子がそのアーティストのことをめちゃくちゃに悪態突き出した。だから俺は言ったんだ。仮にも昔ファンだったとは思えんくらいの言い草だな、もはやアンチだろって。そして言ってから思った。

 

   いや、それってアンチか?

 

    よーく考えてから思ったんだけど、それってむしろひとつの意見なんじゃないだろうか。否定的な意見だから傍からはアンチに見えるだけで。もしかして昔好きだったからこそ、今こうして言ってるんじゃないだろうか。思い返せば、俺も好きだから、好きなアーティストとかバンドに対して否定的な意見を言った憶えがある。

 

    俺が好きなサブカルっていうジャンルの音楽は、名前に「サブ」がつくくらいだから、狭い領域だ。そんな狭い領域で好きになったバンドも、どこかで人気に火がつけばメジャーへと行ってしまう。俺はあのバンドの昼ドラみてえな汚いラブソング歌ったりするリアルさが好きだったのに、メジャーに行ったら大衆にウケるように少女漫画みてえな綺麗なラブソング歌ったりされる。あんないいバンドが人気じゃないなんておかしいってずっと思ってたけど、こんな形でみんなに知って欲しいなんて思わなかった。むしろ、みんなが今見てるそのバンドはもう今まで俺が好きだった姿と全然別物で、こんな形で知られるくらいなら売れないで欲しかった。だから俺は言う。メジャーに行って大衆ウケ意識するようになってから良さが消えた、って。

 

    最近はなんでもかんでも、バンドのやることなすことに全部脳死で肯定するような盲目なファンが多いせいで、ちゃんとした意見でも否定的だったらすぐにそれはアンチということにされる。むしろなんでもかんでも肯定してる方がバンドを殺してることにまだ気付かないのか。

    バンドが理想の音楽やってそれで食ってけるならいいよ。ただ、そうじゃないときは、どうしたらもっとたくさんの人に聞いてもらえるかってバンドがいろいろ試行錯誤して、それをきちんと評価するのがファンの役目だ。自論だけど、音楽はバンドとファンが協力し合って生み出してくもんだ。

    それをなんでもかんでも肯定してたら、バンドが方向性見失ったり、道間違えてることに気づかなかったりする。ただでさえ食ってくのが難しい音楽業界で、いい歳まで音楽の夢追ってそれで叶わなかったやつはもう実家継ぐかフリーターしか残されてねえぞ。バンドのことほんとに思うならきちんと評価しろ。バンドを殺すな。マジで。

    否定的な意見も肯定的な意見もちゃんとバンドに伝わるようにわかりやすくリアクションをとれ。ちゃんとバンドのこと思って伝えた否定的な意見なら、バンド側も傷ついたりせずに真摯に受け止めるから。だから、盲目にならないでくれ。バンドのこと思ってありのままのリアクションを伝えろ。曲があんまりだったらどこがどうあんまりかちゃんと言え。否定的な意見をなんでもかんでもアンチの一言で済ますな。

 

  今後の音楽業界がいいリスナーで溢れますように。

句読点をつけるのがヘタ

 

    なんかの記事書いてて、書き終わったから一応見直ししとこうと思って見返すと、いつも文章が長いことに気づく。マジで意味わからんくらいひとつの文章が長い。

    それは俺がやたらと読点をつけるからだ。読点って言うのはアレだ。文章を読みやすくするためにつける点でこれ「、」のこと。俺はどうやら読点をつけるのが好きなのかやたらと読点をつけてしまう。

 

    読点は文章を読みやすくするため以外にも、強調したりすることにも活用できたりする。読点は文字の世界にしかないものであって、現実の話し言葉では読点の代わりに間を作ったりする。

    そもそも話し言葉に於いていちいち間を作って話さなくても普通に相手には伝わるんだけど、それでも間を作るとそれは強調しているように感じる。少しの間が「今から大事なこと言うぞ」みたいな意思表示のように思える。だから書き言葉では「実は」の後に大体読点がついてる(って勝手に思ってる)。「マジでだるい」と「マジで、だるい」だと後者の方がダルそうに思えませんか?読点にはそういう働きもある。

 

    ただ文章を読みやすくする以外にもこういう使い方で読点をつけてると、マジで文章が長くなる。あと、俺は句点を付けるのは文章だけでなく内容にも一段落ついたときにしかしないので、そうなってくるともういよいよ文章の長さがバカ。それを踏まえて意識せずに前あった少しの出来事を文章にしてみる。

 

    「昔駅のホームで電車を待ってたら、小さい男の子が俺の方にやってきて『今外すごい雨降ってるよ』って言ってきたので、どちらかと言えば小さい子でも人見知りする俺なんだけど、さすがに小さい子を無視するわけにも行かないと思って、『マジで?教えてくれてありがとう!優しいね!』って精一杯の笑顔で話してたら、その子のお母さんらしき人がやってきて、俺はてっきり『すいませんウチの子が』なんて言われるんだろうなと思って、『いえいえ、可愛いじゃないですか』くらい言ってやろうと思ってたら、『やめてもらえませんか』って一言ピシャリと言われたんですけど、いくらその時の俺の見た目が赤髪だからって、さすがに酷いと思いません?」

 

    これがひとつの文章。ノー句点。意識して書かないとこうなるって言うのがヤバい。文才がないとかもうそういうレベルじゃない。文章書かないほうがいいってレベル。いや、マジで。

    別に話にオチがつかないと句点つけたらいけないなんてルールはないんだし、もっと句点付ければいいと思う。駅のホームで電車待ってたら小さい子に話かけられた、っていうところまでで1回切ったらいいのに。いや自分のことなんだけど。なんで出来ないんだろうな。

    綺麗に終わるところまでじゃないと句点をつけないし、代わりに読点をつけるなんてしてもいくら文章を読みやすくする読点でも限界はあるし、かえって見にくくなってしまう恐れもある。そんな文章は誰も読みたくならないし、実際のところ読まない。句点と読点のことを合わせて句読点なんていう言葉があるくらいだし、句点と読点の数もほとんど同じくらいになるべきだ。ひとつの文章に句点と読点が共にひとつみたいな。今の俺は句読点じゃなくて句読読読読読読読読読読読読読読読読点なんて感じだ。

 

    人生を語るにはまだまだ浅い歳だけれど、これは生き方にもそうなんじゃないかと思う。これまでの出来事も全部地続きで、これまで起きたあれこれに句点ではなくて読点をつけてる気がする。だから昔起きた嫌なこと全てにまだ気持ちは晴れていない。逆に今まで経験したいいことと今を比べたりして「あの時の方が楽しかったな」なんて思ったりしてうまく楽しめないこともある。句読点をつけるのが下手はすなわち生きるのが下手なのかもしれないな。

    まずない話だけれど、俺の今までの人生を誰かが本にしたとしたら、最後の死ぬっていうオチでようやく句点がついて、それまではずっと読点しかない読みにくい本になるんだろうな。

 

    句点、つけなきゃなあ。

あいみょんのMVは心がモヤモヤする

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 俺、音楽やってる人がルックスでも売ってるのがあんまり好きじゃなくて。露骨にそういうことしてなくても、少しでも「見てもらいたい」みたいな雰囲気を感じ取ると一気に冷める。音楽に対して100%で向き合っていてほしいというか...なんだろ、そういう気持ちは邪念というものになりませんかって思うんです。

 

 ライブとかで手を上げて音に合わせて揺らすあの意味わかんねえヤツあるじゃないっすか。でもライブはやっぱりめちゃくちゃテンション上がるから、意味わかんないし手が疲れても俺は手を上げて音に合わせて揺らす。限界がきても、アーティストが歌ってくれてるのに聴かせていただいてる俺がこの「ノッてます」の意思表示をしないわけにはいかない、とか思って手を上げ続けます。でも、一瞬でも「あ、こいつ今一瞬ルックスで評価されることの喜びがあったな」って思えば、即座に俺の手は下がってしまう。テンションも下がる。

 いや別に、ファンがアーティストのルックスまで好きになってかっこいいやらかわいいって言うのは別にいいんだ。ファンが勝手にやってることな訳だし。俺も音楽で吉澤嘉代子が好きだけど「嘉代子ちゃんかわいすぎんか!?」とか言うので。好きはどんどん拡大していくからそのうち全てが好きになるんだ。ヤバTのしばたがファンにかわいいかわいいって言われてるのも、そういうことだ。

 

 それで言うと、俺はあいみょんのMVにモヤモヤする。

 

 まず俺の中のあいみょんって、音楽にが全てで音楽に生きるような人というイメージ。実際めちゃくちゃいい曲作るし歌も「こいつ毎回口から音源やん」ってくらいうめえし、もう才能しか感じない。

 あいみょんの人気に火がついたのは、貴方解剖純愛歌でもなければ、マリーゴールドでも君はロックを聴かないでもない。紛れもなく「愛を伝えたいだとか」だ。それが某音楽番組で作詞家と作曲家が選ぶ今年度の名曲ランキングみたいな企画で、愛を伝えたいだとかが作詞家部門作曲家部門のどちらでもランクインして、そこからもう一気にドーン!

www.youtube.com

 最初、MVで聴こうとしてこのサムネ見たときに、ふざけた名前とサブカル感あるセットで「どうせ突飛なことして人目集めて売れよう」みたいなヤツだろうなって完全に色眼鏡で見てた。でも実際に聴いてみるとアホほど良くて、ギャップにびっくりして素直に感動していた。故にこの段階ではあることに気づいていない。

 それからとりあえずあいみょんの音源をApple Musicで落として、聴き込んでいると、好きになるのはすぐだった。そしある日ふと思った。曲は一通り色々と聴いたけど、そういやMVは愛を伝えたいだとかしか見てないな。そうとなれば俺はYouTubeあいみょんのMVを探す。見る。

 

 

あいみょん - マリーゴールド【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 - YouTube

あいみょん - 君はロックを聴かない 【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 - YouTube

あいみょん - 今夜このまま【OFFICIAL MUSIC VIDEO】 - YouTube

 

 本人出演多くね??

 

 あれ...もしかしてこの人ちょっとルックスでも評価されたいって思ってる??あんなに音楽に愛し愛されてるのに、邪念持って音楽するんですか??...マジですか??

    いやもう、もしかして...なんてそんな淡い期待もない。この人は確実にルックスも見てもらいたいって思ってる。だって最初でかでかと貼り付けられてる画像見ました!?あれ、あいみょんInstagramに投稿されてたやつなんですけど、あんな服ルックスでも見られたい人しか着ないでしょ。

    つーかあいみょんInstagram見てください、マジで。めちゃくちゃ自分の写真多いから。もう完全にInstagramではあいみょんも1人の女、いやメスなんだよ。ヘソは出すためにあるものとか言って、へそ出しの服やたら来てますからねあのスケ。

    高倉健の「自分、不器用なんで」くらいのトーンで、「私、音楽でしか表現出来ないんで」って言ってるあいみょんが俺は理想だったのに。

 

    まあそんなこと言っても、全部俺のエゴなわけで。でも俺はこの考え方を変えれそうにないので、今後もあいみょんが新しいMV出す度に、何分何秒だか知んねえけどずっとあいみょんが笑ったりしてる映像を見てモヤモヤするだろう。そうやって生きてくんだろう。

 

    でも音楽は最高すぎるから、結局はあいみょんのこと好きなんだけどな。

 

勝手な線引き

 

    ニュースで凄惨な殺人事件を見たり、どこかで災害が起きていることを知ったり、貧困国の現状を訴えかけられても、 俺は「それはお気の毒に」としか思わない。でもそう思うのにも理由がある。

 

    先日、新潟の方で強い地震があったらしい。新潟は行ったこともない言わば知らない土地だけど、1人知り合いが住んでいる。正直なところ、その知り合いが新潟もしくはその付近の県に在住していたら、いつものように特に気にも留めないニュースだったと思う。だけど知り合いがいるから、心配になった。まあ、無事だった報告をしていたので、胸を撫で下ろしたが。

    知らない場所で、知らない人が何か良くないことに見舞われたのを知っても、いちいちそれに心を痛めたり深く悲しんでいると、俺の気が持たない。

 

    いろいろな感情に、ゲームで言うところのライフとかスタミナみたいなものがあるとする。わざわざ出向いた好きなラーメン屋が臨時休業だった、悲しさ-5。宿題をやったのに家に忘れて怒られた、悲しさ-10。最愛のペットが死んだ、悲しさ-50。上限は100。そんなふうに悲しさの度合いによってライフの消費具合が違う。もちろん消費したライフは少しずつ回復していくが、消費しすぎてライフがゼロになったら何も出来なくなる。コストオーバー。

    まあ、何も出来なくなるってのは言い過ぎで、本当はライフがゼロの時に本当に悲しいことがあっても気持ちがついてこないみたいな、そんな感じ。3年前に大好きだった祖母が亡くなった。それが俺の人生で初めての身近な人間の死で、悲しいんだけど悲しすぎて、ライフ上限100なのに、消費ライフが5000くらいありやがるから、ライフ満タンなのにコストオーバーで悲しいはずなのに涙が出ないしあっけらかんとしていた。

 

    そんな風に、なんでもかんでもに悲しんだりしてライフを消費し続けて、本当に自分にとって悲しいことが起きたときに、ライフが底をついててコストオーバーみたいなことになりたくない。それは本末転倒というやつだ。

    だから俺は、知らない場所で知らない人が何か良くないことに遭っても、それに対して特に悲しんだりもしないし、心を痛めたりもしない。そういうバランスの取り方をしている。本当に優しい人はライフが無尽蔵にあってありとあらゆる悲しいことにそれぞれの消費コストを投じて悲しんだりできるんだろうけど、俺のライフの上限は100だ。もしかしたら普通の人よりも少ないのかもしれない。

 

    まあ理由はあるにせよ、これが良くないことであるのも事実なんだけど。この考えを否定されても、確かにそうだよなって思うよ俺は。ただ俺はこう考えてるんですって知ってもらいたいだけ。否定も肯定も納得もいらない。どんだけ否定されようが、この考えが変わることはない。逆にどんだけ同意されても、この考えに自信を持つわけでもない。ただ知ってくれたら、それでいいんです。

    こんな風に勝手に線を引いて、線より外にいる人には本当に無関心な俺だけど、線の内にいる人の悲しみとか喜びとかそういういろいろな感情を、まるで自分のことのように分かち合いたいなって思ってるよ。

よくあるベタな人生をドラマとかに例えるやつ

 

    最近はもう全然見てないけど、少し前はよくドラマを見ていた。特にお気に入りのドラマがいくつかあって、その中に「リーガル・ハイ」というものがある。堺雅人演じる敏腕弁護士・古美門研介と新垣結衣演じる正義感の強い新人弁護士・黛真知子の2人が織り成す法廷を舞台にしたコメディ。しかし時にシリアスでメッセージ性の強いシーンもあって、そのギャップがまたおもしろい。

 

    作中ではよく古美門研介(堺雅人)が早口で長ゼリフを喋るシーンが多くある。黛真知子(新垣結衣)を罵倒したり、感情を露わに傍聴席や依頼人に語りかけたり。俺はそのシーンが好きだ。ついつい見入ってしまう。

    見入ってしまうのは、長ゼリフが作品の面白さをグッと高めるから。古美門研介という役柄は、腕は確かだが性格に難がある。金欲しさに報酬の高い仕事ばかり受けて、それが例えどんなに難しい仕事でも容易に成功させる。自由奔放に法廷を暴れ回る。他人に割り込む隙を与えずに、言いたいことを早口に捲し立てる長ゼリフは、古美門研介というキャラを特に引き立てる。

 

    でもこんな早口の長ゼリフは作品の中でだからできることであって、現実世界ならどんなに有能な人でもこんな長ゼリフは喋れないだろう。滑舌の問題とかじゃなくて、綺麗な文章を早口に言うことがまず無理だ。言いたいことは伝えられたとしても、絶対どこかで相応しい単語を考えるのに一瞬間ができたり、「えー」とか「あのー」とか間を伸ばすような言い回しをしてしまう。ドラマのキャラが喋ることには、それぞれに台詞がある。

    それに加えて、ドラマにはさらに編集もある。いくら堺雅人と言えど、早口で何分も1人で喋るような長ゼリフを1発で決めるなんてことはないだろう。俺たちが見てるのは成功カットであって、それが1テイクで撮れたものなのかはたまた10テイクで撮れたものなのかは知る由もない。…まあそれでも一般の人間には100テイクでも無理なところを堺雅人はたったの数テイクで済ませてしまいそうなもんだけど。

 

    役者が噛んだりしてるドラマなんて見たことがない。福田さんが監督する勇者ヨシヒコとか映画銀魂みたいなのは特例として除くけど。台本もあれば編集もあるからこそ、ドラマの中の暮らしはなんだか綺麗で良いもののように見える。そんなものと自分のリアルな暮らしを比べても無意味なことはわかってるのに、どうしてか比べてしまって自分の暮らしの色が褪せたり惨めになったりする。

 

    俺は古美門研介の早口ながらも綺麗にまとまった文章の長ゼリフに憧れていた。早口じゃなくていいけど、こんな風にスラスラと綺麗に喋りたいと強く願っていた。噛んだり、言葉とか文章を考えるのに少しの間ができたり、まわりくどい自分の喋り方が嫌いだ。だから憧れた。

    しかし残念ながら人生をドラマに例えるとするならば、台本なんてない。あっても最初のページに「オギャー」と書かれているだけで、あとは真っ白。なんなら編集もない。どころか、生まれてから死ぬまでの一発撮り。成功したカットも失敗したカットも全部そのまま。これ、ドラマと言うより生放送と言うほうが適切なのでは?

    せめて台本があるか、編集でやり直しができるかのどっちかだけでもあってくれたら良かったのにな。そうだったら、こんな駄作にならなかったのかもしれないのに。しかもまだこれ多分だけど全体の4分の1程度の進行なんだ。今のところお目汚しでしかないから見てる人がいたらほんとごめんって思ってる。思ってるけど、今から頑張って面白くしてこうと思うから、ホントのところ言うと、見て欲しいなって思ってる。なあ、頼むよ。

人生はパチスロ

 

 

    その昔、パチンコスロットに頻繁に通っていた時期があった。パチンコスロットをやったことのない人にわかりやすく説明すると、何百分の1とかの確率で設定されてる当たりを的中させれば、メダルやら玉やらがジャラジャラ出てくる。そしてそれを景品に交換すると、外でそれを現金で買う物好きがいるプレハブがあってそこでお金に替えてもらう仕組み。

    海外とかのカジノみたいなスロットもあるけど、大体はアニメとかをモチーフにしたゲームみたいに出来てて、楽しみながらお金儲けすることができる(こともある)ので、その旨味を覚えるとなかなか抜け出せなくなって依存してしまう。

 

    俺も依存していた人間の1人で、よく負けが込んでくると「ヤバい…今金スると次の給料日まで過ごせない…でもここでフリーズさえ引けば負けを返せる…!」とか思いながら打ってた。もはやゲーム性を楽しむなんてことはしてないどころか、俺がやってたソレは完全にギャンブルだった。額こそ違えどカイジになった気分だった。鼻と顎が尖りだして、周りの台のメダルが出る「ジャラジャラ」という音が「ざわざわ…」に変換されて聞こえた。

    フリーズというのは、スロット台の種類によって違うが大体の台に搭載されてるシステムだ。確率が何万分の1とか、とにかくめちゃくちゃ薄い確率で起きる強制フラグで、かわりに引けたときの恩恵はでかい。メダルがジャラジャラ出てくる。だから負けが込んでくると、引けもしないフリーズを意識しだす。

    引けないというか、引きたいときに引けるもんではない。ただ待ち合わせの時間までに空き時間があって暇つぶしに店に入ってぼーっとしながら打ってると引いてしまったりする。それで結局、回収に時間がかかって待ち合わせに遅れたりするんだけど。

 

    パチスロを長いことやってフリーズを何回も経験すると、何万分の1とか何十万分の1とかの確率も引いたことがあるにはあるので、それは引ける数字だと思えてきてしまう。パーセントに表すなら1/10000も0.01%。普通の人ならそんな数字、ないようなもんじゃんってなりそうなものだけど、我々スロッターからするとこの数字はめちゃくちゃあるほう。これなら引けるとか思ってしまう。

 

    話は変わって、入院していたときのことだ。ある検査で少し強い薬を投薬する必要があった。その薬は人によっては副作用が出るので、前日に同意書にサインを求められた。同意書とは言いつつ、書かなきゃならないんだけど。書かないと検査受けらんないし。正直なところ、自分にあんまり関心がないから、副作用とかどうでも良くてすぐさまサインしようとしたけど、ちゃんと目を通してとか言われるのが目に見えたので、一応しっかり読んだ。こう書いてあった。

 

    吐き気、動悸、頭痛、かゆみ、くしゃみ、発疹などが出ることがあります。このような副作用の起こる確率は100人につき5人以下(5%)です。

    呼吸困難、意識障害、血圧低下、腎不全などが起こることもあります。このような副作用の起こる確率は、約6000~9000人に1人(0.01~0.02%)です。また、病状・体質によって約10万人~20万人につき1人の割合(0.0005~0.001%)で死亡例の報告もあります。

 

    死ぬって思った。

 

   スロットをやっていた俺からするとこれは限りなく有り得てしまう数字。あれだけ可愛く見えてた看護師さんとかもうなんか全員が怖く見えた。白衣の天使?ざけんな!!地獄の案内人じゃねーか!死んだら毎晩化けて出てやるからな!生きてられても、退院してからひたすら看護師のネガキャンしてやるからなクソが!

 

    とか思ったけど、そんなこと言えないし俺は大人しく震える右手でサインしたんだけど。

 

    それから、冷静になって考えたんだけど今までスロットで引いてきた限りなく薄い確率で起きるフラグは1日に何千回もレバーを叩いてやっと起きることだっていうことに気づいた。たったの1回でそんなに薄い確率を引き当てたことはない。あれ、これってもしかして…。

 

    生きれるじゃん。

 

    そう思ったらなんか気が楽になってきた。近くを男の看護師の人が通って、その人もスロットやるみたいでたまにスロットの話をする人なんだけど、冗談っぽく、

 

「聞いてよ〇〇さん、明日の検査で使う薬、この確率で死ぬらしいんだよ!これスロットやってる俺らからしたら充分に死ぬくない??死んだらみんなにありがとうございましたって言っといてよ!」

 

    とか言った。笑いながら。そして次の日検査に行った。結論から言う。

 

    吐いた。血圧低下した。目眩もした。

 

    同意書にあった副作用の軽い副作用と重い副作用の間くらいの症状を1発で引き当てた。危なかった。俺は生まれつき運が悪いほうだからこれで済んだけど、もし運が良かったら引いていたかもしれない。死のフリーズを。