無題

タイトルとか考えるのが恥ずかしい

どうせ悪い終わりを迎えるくらいなら

 

    今日同じバイト先の友達がバイト終わり早く終わったら飲みに行こうぜなんて誘ってくれて、ほんとにお互いバイトが早く終わったもんだから誘える人誘って飲みに行って、今帰り道なんですよ。

    ほろ酔いなんで誤字脱字とかあったら申し訳ない。きっと文章もろくでもないもんなんだろう。

 

    その友達は、俺の数多くいる友人の中でもかなり仲がいい友人で、何が言いたいかってつまるところ楽しかったんですよ。誘いを受けて来てくれた人もかなり心開いてる人だったので、変に頑張って喋りすぎずにいられるというか、自然体のまま飲めて、突然喋り出したり黙ったりできるので本当に楽しかった。

 

    仲が良い人とお酒を飲むって言うのは、未成年の人にはわからないかもしれないけど本当に楽しいことで。まだまだ俺は21歳の若輩者かもしれないけど、そんな若輩者にも仕方なく続けてる人付き合いみたいなものがあって。そういう人たちと飲むお酒は本当に美味しくないし、楽しくない。

 

    楽しくて美味しく飲める酒の席なんてのは俺の年齢でもあまり多くはないし、だからこそ楽しく飲めた酒の席の帰り道は身体中を血流に乗って巡るアルコールのせいもあるけれど、本当に気分がいい。

 

    そしてふとそういう時に俺は死にたくなってしまう。なんでかってどうせ悪い死に方するくらいなら、今この幸せに満たされたまま死んでしまったほうがそれが一番いい終わり方なんじゃないだろうかって思ってしまうから。

 

    小さい頃から「死」というものに非常に関心が強くて、もしかしたらみんなも一度は誰に言われずとも「死」について深く考えたことはあるんじゃないでしょうか。本を読んだり、映画を見ながらどんなエンディングが待っているんだろうと想像してしまうように。

 

    人間誰しも永遠には生きられないし、いつかは終わりがあるから、だからこそその終わりや終焉について考えてしまうことはあると思うんです。

    どうせならいいエンディングを迎えたくはないですか?病に見舞われて、薬の副作用に苦しみながら死ぬのは嫌じゃないですか?俺は嫌です。

 

    だったら幸せなまま死にたい。ならばそれは今なのではないのだろうか。そういう思考の流れで幸せな時こそ死にたくなってしまうんです。決して、いいこと何も無いしどうせこの先もないなら今死にたいなんて、そういうマイナス的な意味で死にたいなんて言ってるわけじゃない。幸せだからこそ死にたいって話です。

 

    あれ。言いたいこと全部言ってしまった。どうやってこの話を閉めたらいいのかわからない。あれです、あの、みんなもいつかは死んでしまう以上、理想の死に方、いい死に方を考えてみてはいいのではないのでしょうか。それでは。

交わる処

 

    昔から川を見るのが好きだった。家でアクアリウムをしていた父の影響もあって泳ぐ魚たちを見てるのも好きだったけど、何より川と川の合流地点を見るのが好きだった。

    全ての川はやがて海へと繋がっていて、しかしそれまでに川と川が合流することがある。そんな川と川の合流地点は、別々だったものが既に1つになっているのか、はたまたまだ独立しているのか、或いは一緒になった部分と独立している部分がわずか数センチ単位で小さな範囲に混在しているのか。そんな交わり合う感じが不思議に感じられて好きだった。

    大きな川に合流する小さな川にもちゃんと名前があって、なのにそれが大きな川に合流するとその小さな川は大きな川の一部となって名前を変える。川の合流地点はなんだかパワースポットみたいだ。

 

ーーーーーーー

 

    大学の中を歩いていると、たくさんの人達がいる。その人達が交わす言葉が俺の耳に届く。

 

    「昨日サークルの後さあ…」

 

    「先週の飲み会で…」

 

    「次の授業の課題が…」

 

    様々な話題、言葉が飛び交う。隣から、携帯の通知音がする。一人で座って携帯を巧みに使う彼女はメール、LINE、もしくは何か違う別の媒体で電波に言葉を乗せて送っているのだろう。よく見ると、そういう人は彼女以外にもたくさんいる。

    だとすると、俺の周りには言葉を乗せた電波が目まぐるしく行き交ってるのだろう。それは目に見えないけれど。

 

    なんだか、川の合流地点と似たようなものを感じる。周囲で様々な思いを乗せた言葉が交わっているところがそう思わせる。

    俺の携帯も音を鳴らす。見れば友達からのメッセージ。素早く文字を打ち込み、返信を送る。電波に乗せて。

 

    ここが川の合流地点と似ているとすると、俺も1つの川なのかもしれない。そんな風に思えて、少し可笑しいような、同時に何か誇らしいような、これまで経験したことのないような不思議な気持ちになった。今のこの気持ちを上手く表現するには、どんな言葉が適切なんだろう。そんなことを思いながら次の授業へと向かう。

 

    道中、昔のクラスメイトをチラホラ見かけた。あんなに毎週顔を合わせたクラスのみんなは今やそれぞれ別の友達といたりして、なんだかそれが少し寂しかった。10いくつかの川が混じりあったクラスという1つの川も、今やもっと大きな大学という川に吸収されてしまったのだろうか。

 

    今、大学の敷地のちょうど真ん中を歩いている。たくさんの人がいる。こんなに大きいのに、これでもまだ「川」なんだもんな。まだ見たことがないけれど、海はもっと大きいのかと思うと、圧倒された。

    

思念体化してオブザーバーになりたい

 

    突然なんですけど、俺、可愛い女が好きなんですよ。いきなり何言ってんだって思われているかもしれないですけど。

    だってそうじゃないですか。悪い言葉になるけどブスと美人で中身が全く一緒なら美人選ぶでしょ。美は醜より優れているんです。それは仕方ないことなんです。道理なんです。

 

    今これを読んでいる人の中に可愛いもしくは美しい女性の方がいたら、唐突に降りかかった身の危険に身構えていることでしょう。でも安心してください。

    俺は可愛い女が好きだけど、別に見ているだけで良くてそれ以上どうこうなりたいとはあまり思っていません。美術館で絵画を鑑賞するようなものなんです。見ることはあっても手出ししたりはしません。だから、安心していいです。本当に。

 

    この世は可愛さや美しさで溢れていて、SNSを開けばそこにはたくさんのモデルやアイドルが存在する。俺はそういう容姿の優れた人に大金払ってイベントに参加します。会うために。生で見るために。

    風俗とかそういうものに行ったことはないです。何故なら可愛い人や美しい人を肉眼で見るだけで俺は満たされるから。信じてもらえたでしょうか?安心してくれましたでしょうか?ならば構えた武器を置いてもう少し俺の話にお付き合い下さい。

 

    昔から観察することが好きなんです。SNSによくいる、趣味は人間観察とかプロフィールに書いて被写体とかやってるちょっと容姿が優れた結局はただの一般人の女、俺すっげー嫌いなんですけど、俺も同じ穴の狢です。

    もう少し化学が発達してSF小説とかで描かれるような世界が訪れたなら、俺は思念体化してこの世に留まり続けて世界を観測し続けたいと思ってます。本気で。

 

    ちょっと話が飛躍するんだけど、Twitterで知らない人からフォローされた時、あなたならどうしますか?どうしますって言うのはフォローを返すのを前提で。誰だろこの人?って気になってどんな呟きしてるかとか、その人のことを知ろうとしますか?

 

    俺はね、その人のアカウントをかなり詳しく調べます。ツイートはもちろんアップしてる画像や動画、プロフィールの紹介文、はたまたいいねした投稿まで。

    だってそれが礼儀じゃないですか。その人もきっと俺に興味を持ったからフォローしてくれたんでしょ?ならこっちも興味を持ってあげなきゃ。知ろうとしてあげなきゃいけない。だから俺はその人のアカウントを徹底的に見ます。

    生きてて一番ドキドキする瞬間は紛れもなく間違えていいねして見てるということを教えないように人のアカウントに探り入れてるとき。これに尽きる。

 

    話してて思ったんだけど、俺、怖いね。1歩間違えればストーカーだよこんなの。知り合いにコスプレイヤーやってるやつがいるんだけど、そいつはコスプレイヤーやってることをみんなには言ってないんだけど、ある時間違えてコスプレイヤーの活動してる方のTwitterアカウントから俺のツイートにいいねしちゃったんだ。俺、その時も徹底的にそのアカウント見たもん。

 

    モデルやアイドルじゃなかったとしても可愛い人ならアカウント徹底的に探り入れてるよ。だって興味を持たせるのが悪いじゃん。可愛いのが悪いよ。可愛く生まれてしまった自分、そして俺に見つかってしまったという不運を呪ってください。あと俺の友達もね。俺と知り合ってしまった己の運命を呪え。見られているかもしれないという不安を抱えろ。震えて眠れ。俺はいつでも君を見ているぞ。

 

    もう少し法律がネットというものに対応しだしたら、きっと俺が今やっていることは犯罪にカテゴライズされるかもしれない。いつまでこんなことできるかな。そうなる前に化学が発達して欲しいな。そして本当に思念体化してオブザーバーになりたい。

 

observer 意味:観測者

 

好きとか嫌いじゃなくて

 

    現代社会を生きる皆さん、こんにちは。今日も人間関係に疲れてますか?

    嫌いな奴に限って好かれますか?1人でいたい時に限って偶然人と会ったり誘われたりしますか?上司がウザイですか?かと思えば後輩もウザイですか?会いたい人に限って会えなかったりしますか?

    波風立てぬべくとやり続けた愛想笑いが戻せなくなっていつしか普通の顔が出来ないようになりましたか?だとすればそれはさながら絵画ですね。現代アートですよ。あなたの顔は。

 

    理想論を言えば嫌いな人とは関わらずに好きな人とだけ関係を持って生きてくのが一番なんです。でもそれはできないんです。俺たち日本人は礼儀とか作法とかそういう首の締めあいが大好きだから。本当は誰もできるならしたくないのに。

    首を締められると息が出来なくなって死ぬのは当然のことです。だとすれば殺られる前に殺れ。自然の摂理。俺たち人間も結局は動物なんです。息苦しい世の中というか国ですね。

 

    俺はまあ多少の人間関係のストレスは抱えてるけど、でもきっとみんなよりかはマシだと思ってます。みんなの押し付けられて今にも破裂しそうになってる精神、いや心よりかは。個人的に人間関係のストレスを軽減するような生き方のコツのようなものがあるんですけど、よろしければ参考程度に聞いていかれませんか?

 

    そもそも俺は好きな人嫌いな人という前提が間違いだと思ってます。俺は好きな自分でいさせてくれる人と関係を持つようにしています。

    例えばあなたがLINEとかのアイコンに自分の写真を設定する時、数ある自分の写真の中からあなたが選んでいる写真は、きっと無意識のうちにあなたが人から見られたい自分の理想に一番近い姿のものなはずです。最近の言葉で言うなら盛れているものだとか。

    人にはそれぞれそういうものがあって、そういう人から見られたい自分の姿ってのはつまり自分が好きでいられる自分であって。人からそう見られたい自分ってことは即ちその姿で見られることには自信があるということじゃないですか。半目だとかちょっと鼻毛が出ている姿で写ってしまった自分をLINEのアイコンに設定できますか?できないでしょ?

 

    まず人を好き嫌いになるわけじゃなくて、その人といる自分を好き嫌いになるかの基準で関係を持つ人を選ぶということはわかってもらえたでしょうか?

    言いたいことはわかります。結局関わる人間を選んでるんだからそれが出来てたら今人間関係に疲れてないってことですよね。

 

    飲食店で料理を運んできた店員が空いた皿を持って厨房へと戻っていく時に、他の料理を運んでる店員とすれ違いざまに一言二言交わすとき、自分たちに見せていた店員の顔から友達とか知り合いに喋るときの顔に戻る瞬間を見た経験ありませんか?

    そういう色んな顔を使い分ける習性が俺たち人間にはあるんです。あの友達の前では図々しくなれないけど、別の友達の前では図々しくなれる、みたいなことありませんか?ありますよね。それはつまり顔の使い分けです。

 

    人と関係を築いてく過程で、好きでいられる自分を構築すればいいんです。初対面の人と会って、最初はお互い敬語だけど、だんだん敬語が外れて、冗談でキツい言葉も交わせるようになっていくような、そんな過程の最中に。

    そうすれば、関わる人を選ばずとも誰しもの前で好きでいられる自分になれるはずです。関わる人全てが好きな自分でいさせてくれる人に変わるはずです。

    幸い、人間関係なんてものは始まりはあっても終わりなんてなくて、言ってしまえば関係を築いてく過程の中にずっといるようなものなので、今から徐々に好きでいられる自分の顔に変えていけばいいんです。そうすれば時間はかかれども、きっといつかあなたの関わる人全てが好きでいさせてくれる人になる時が来るでしょう。

 

    参考になったでしょうか?なっていれば幸いです。それでなんですけど、勝手に話し始めて対価を求めるのはどうも道理がおかしいのは承知ですが俺の悩みを聞いてもらえませんかね。

 

    俺の悩み、それは演じることに疲れたって言うことです。俺、素の自分というか自然体の自分がどうも好きになれないんですよ。なので関わる人全ての前で好きでいられる自分を演じてるんですね。

    でもそうするうちに益々自然体の自分を嫌いになっていくし、最早人の前でいる自分か一人でいる時の自分のどちらが自然体なのかわからなくなってきてて。でもとにかく人の前で好きでいられる自分であり続けることにたまに疲れ切ってしまうことがあるんですね。

    どうすれば自然体の自分を好きになることができますかね?参考にしたいので誰か教えてくれませんか?

 

    

これ以上深まらない親密度を深めるコツ、それは一度離れてみること

 

    今日は昔のバイトの先輩達と会って、ご飯を食べてきた。多分2年ぶりとかそれくらいに会った。2人ともバイトの頃から好きだった先輩だけど、さすがに2年ぶりに会うのは緊張した。

    こういう時、俺は緊張してるようには見えないけど沈黙が怖くてやたらといつも以上に話をしてしまう。最後にはもう自分でも何を言ってるかわからなくなってる。

    昔読んだ石左さんのブログで「沈黙恐怖症」というのがあったんだけど、本当にアタマからケツまで共感しかなかった。これに書いてあることは石左さんのことだけれど、俺もトイレと鏡台が怖いことを除いてここに書いてあること全て一致してるので、是非読んでみてください。

沈黙恐怖症 – 夏目新舎

 

    それで今日もある程度思い出話とか近況の話も済んで、話題と話題の間が長くなるにつれ俺の恐怖や焦りも膨れ上がり、だんだんと自分でも何を話しているかわからなくなっていったような気がする。もしかしたら軽く嘘とかもついていたかもしれない。間を繋ぐために。覚えてないけど。覚えてないというか覚えてたくないから無理やり忘れたのかもしれないけれど。

 

    バイトしていた当時、俺は猫を被ってた。本当は暗くて自分に自信がない人間なのに、真逆の人間を演じてた。たまたま明るい人達が集まったバイトだった。俺は、その中に一人暗い奴がいるとみんなに気を遣わせたりみんなのテンションを下げてしまうのではないかと思った。だから精一杯真逆の人間を演じた。幸い、人間はいろんな顔を持つという特徴があるので、特に苦もなくその役を演じきれた。そうしてそのバイトでの俺の顔は、俗っぽい言葉を使って言うならば陽キャとして認識されるようになった。

 

    人にまだ見せてない自分の顔、新たな一面を見せるのは怖い。だってもし自分の新たな一面を見たその人が、それを気に入ってくれなかったら。もっと言うなら嫌われてしまったら。そう考えてしまうので、人に見せていない一面っていうのは大抵世間一般に欠点とされるものだったり、自分でも好きになれない自分だったりする。ギャンブル依存症、酒乱、ケチ、短気、無神経、傲慢。いろいろあるだろう。人それぞれに。そしてあなたはあなたの欠点や好きになれない自分を人にさらけ出すことができますか?

    俺は怖いよ、やっぱり。メルヘンチックな話じゃないけど、生まれた場所やら時代が一致して莫大な人間の中から巡り会えた人なんだから、出来れば嫌われたくない。なので中々自分の欠点や好きになれない自分を人に見せることは難しい。それに至れるまでに、かなりの関係を築かなければならない。きっと嫌われないだろうという自信を培わなければならない。

    俺の好きになれない自分は、暗かったり考えすぎてしまったり自信がなかったりする自分なんだ。冒頭で沈黙が怖くて変に喋りすぎてしまったことは覚えてたくないから忘れたなんて言ったけれど、でも今日1つだけその間に自分が言っていたことで覚えてることがあって。それは本当の自分とか明るい人間は演じてたっていうカミングアウト。

    2人のことはバイトしていた時から好きだった。でも言ってしまえばバイト先の先輩後輩という間柄だけというわけで。バイトしていた当時に自分が猫を被ってるというカミングアウトはきっとできてなかったと思う。じゃあ何故今は出来たのか。それが例え、沈黙を防ぐために出た咄嗟のものであったとしても。別に、外国人の彼氏がいる女ってデフォルトでドヤ顔ですよね、なんて言ってもよかったのに。なんで言えたのだろう。

 

    それは逆に2年ぶりに会うからなのかもしれない。バイト時代、2人に今日みたくカミングアウトしてもし嫌われてしまえば、嫌われてからもバイトで毎日顔を合わすことになるわけなのだから、そんなの相手も不快だし俺も辛い。みんなが損しかしない。だから言えなかったのかもしれない。

    でも2年ぶりに先輩の方から連絡が来て。それは俺にとって、所詮バイト先の先輩後輩程度の関係って思われてるんだろうなって考えの否定になるわけで。バイトという繋がりがなくなった今でも会ってくれるということは、もうそれ以上の関係で、そしてその中でも俺の存在を大事に思っていてくれるのかもしれない。だとするなら、条件は揃った。自分の欠点等を晒せるほどの関係性も築けた。嫌われないだろうという自信も持てた。

    そういうロジックで俺は今日カミングアウトをしていたのかもしれない。今日の事をもって、俺は疑問に思った。人と関係性を深めるにはある程度まで到達すると、そこからはもうどれだけ一緒に過ごそうがそれ以上深められないのかもしれない。さらに深めるためには一度離れることも大切なのかもしれない。そう思いました。みんなはどう思いますか?

 

    あ、あと最後に一つだけ。人はそう簡単に人を嫌いになったりしない。今日だって先輩2人は本当の俺を見て、幸せになって欲しいなんて言ってくれたし。いや別に俺幸せなんだけどね。嫌いな自分を嫌わずにいてくれて、尚且つ幸せまで願ってくれる人が周りにいるんだから。こんな幸せなことねえよ。だから怖がることなんてなくていい。あなたの欠点がなにかは知らないけれど、思いきって見せびらかしてみよう。もしそれで嫌われた時の責任はとれないけどね。それでは。

性別なんてない世界なら

 

    大学生活も残すこと半分もないってなったあたりからみんなが言うんだよ。

 

    「大学って思ったより出会いがない。」

 

    ドラマ、或いは漫画のようなキャンパスライフを夢見ていたかもしれない。俺もそうだった。高校生の頃は大学ってここよりもっと楽しい場所だろうと信じていた。友に恵まれ、出会いに溢れ楽しいだけの4年間を過ごすのだろうと。

    しかし違った。大学は自分から行動すれば高校生の俺が思っていたような楽しいものにできるけど、動かなければ多分最も楽しくない場所になる。友達?できない。出会い?ない。4年で卒業?できない。

    このまま就職してしまえば更に出会いが無くなる、さすれば俺はこの先ずっと彼女ができない?そういう危機感を本能的に感じるのは大学3年生4年生あたりの頃。

 

    時刻は21時、とある繁華街の飲み屋。いつもお決まりの顔ぶれで酒を酌み交わす男子大学生3人。とうとうあいつも彼女できたらしいぞとか、隣の席のあの子可愛いよねとかお決まりのルーティントーク。生産性は皆無。育まれるのは友情。残るのは思い出だが、楽しいが同時に虚しくもある思い出。飲みの金を払っているところを考えれば、バイトでもして金を稼いでる方が有意義なのかもしれない。薄々感づいてはいるが、それをかき消すように酒を飲む。アルコールを巡らす。思考を鈍らせる。いつの間にか隣の席の可愛い子が酔い潰れて連れの男に抱きついてるのを横目に、1人がぼやく。

 

    「ナンパしにいかね?」

 

    アルコールは思考を鈍らせるが、一周回ると見落としていた答えに気づかせる。動かなければ得るものはない。他の2人も普段なら、俺たちなんかじゃ無理だろ、と言うところではあるが、酒は気も強くする。行くか、と2人は声を揃えて返す。こういう過程を踏んで、男、それも大学生活折り返しの奴らが揃う飲みの席では最終的にこういう結末を迎える。

 

    少し俺の話をするんだけど、俺は性欲とか色欲とかがあるにはあるけどどうやら一般的にはそれが薄いようで。正直男だけでルーティントークしながら酒を酌み交わして笑ったりしてるのも十分に楽しい。それを知りもしない女を捕まえに行って、そんな奴に俺の友人達がガツガツしてるのを見るのはあまり楽しくない。友達をその知りもしない女に取られた気分になる。

    昔してたバイトに1人可愛い子がいたんだけど、じゃあバイトの面子で飲み会しようってなった時に、男のみんながみんなその子に絡んでいて取り残された他の女の子がつまんなそうにしてるのが好きじゃなかった。バイトの飲み会だからバイトみんなで楽しみたいのに、一部だけで楽しんでいるようで、それじゃお前らだけで飲み会してろよなんていう気持ち。

    クリープハイプの『エロ』っていう曲にこんな歌詞がある。

だってだってだってそれなら

どうせ最後はそうなるんだから

すぐ出来ることをしよう もうアレしかないし

www.youtube.com

   

    アレって言うのはSEXのこと。この歌詞は実際本当のことで、結局男女が揃えば最後にはそうなる。俺はそういうのがとても嫌いで。未来が分かると楽しくないじゃないか。最後にはそうなるのわかってるのに、だんだん座る距離詰めたりとか、彼氏の有無を聞いたりとかの駆け引きが馬鹿馬鹿しくて。なので俺は男だけでいる時に、そこにポンっと1人女の子が入ってきて雰囲気が変わるあの感じとかがとても嫌い。スマブラでステージの端っこから銃連射してくるフォックスくらい嫌い。

    でも男女が交じればそうなるのは自然の摂理で、ガツガツいく男も焦らす女も誰も悪くない。悪いのは自然の摂理に反している俺だ。ところで自然の摂理に反しているってそれは生物として大丈夫なのだろうか?多分大丈夫じゃないよな。殺してくれ。

 

    こんなのは絵空事なんだけど、例えばこの世界に性別というものがなければ、と考えてしまう。新しい人間はどこからともなくいきなり現れて、そして死ぬときはいきなりいなくなる。そんな世界なら、今世界で問題視されてるLGBT問題とかもなかったんじゃないだろうか。そんな世界に生まれたかったなあ。本当に絵空事なんだけどね。そんな世界は今の世界と比べて得るものよりも失うものの方が多いだろうし。俺が努力しよう。最後にはそうなるってわかってても行う駆け引きとかの馬鹿馬鹿しさを楽しむ努力を。男だけで繰り広げる不毛な飲み会を楽しめるんだし、きっと出来るはずだ。とりあえず誰か、週末飲もうよ。そんでナンパしに行こう。

Rain, later sunny

 

    起きると酷い豪雨だった。窓はガタガタと揺れ、扉の向こうで壁に貼り付けられたトタンがカタカタと音を奏でている。男は本や原稿が無造作に積まれたテーブルの上から軽くなった煙草の箱を取り、そこから一本出すと火をつけた。最初の一口を軽く吹かす。空いた手でテレビのリモコンを取り操作する。いくつかチャンネルを回し、丁度天気予報が放送されているチャンネルで止める。

    時刻は午後4時32分。夕立かと思っていたがどうやら大型の台風が接近しているらしい。テレビを消すと、吸殻で一杯になった灰皿に煙草を押し付け、火を消す。

    冷房の代わりに扇風機を回して寝ていたからか、酷く寝汗をかいておりそれが不快だった。シャワーを浴びようと風呂場へ向かう。服を脱いで洗濯かごよりも高く積まれた衣類の山に投げ捨てる。今日こそ洗濯物を終わらせようとしてたのに、この雨だとな。また先延ばしだ。本当に間が悪い。

    蛇口から出てきた水は、水道管が地熱で温められているのかぬるかった。だんだんと水は冷たくなってきて、それが体の火照りを収めてくれると共に、さっきまで寝ぼけていた男の頭も覚醒していく。

    風呂場から部屋へと戻り、冷蔵庫から発泡酒を取り出し開けようとした。しかし突然携帯が鳴り、阻害される。見ると一件の通知。『6時、派遣』の文字。そうだ、今日は派遣が入っていたんだった。冷蔵庫に開けかけた発泡酒を戻す。

 

    男は小説家を志していた。しかし中々芽が出ず燻っていた。今年こそ何も変わらないままだといよいよ実家に戻って家業を継ごう。なんのきっかけもないけれど、不意にそんな決意をした。

    テーブルの上の灰皿から、先程消したと思っていた煙草の火がしっかりと消せていなかったのか薄く煙を立てていた。それがまるで今の自分を見せられているかのような皮肉に感じた男はなんだか少し笑ってしまった。今しがたの決意を込めるようにその煙草をギュッと強く灰皿に押し付け、火を消す。男は適当な服に着替えると、家を出た。

 

    派遣会社へ着くと、就業先への無料送迎バスが停車しておりそれに乗るようにと指示を受けた。バスに乗り、適当な空いてる席へと腰を下ろす。辺りを見ると、恐らく学生と思われる若者から自分の父親程の老人、同い年位の中年まで老若男女問わず様々な人間がいた。皆それぞれ理由があって今此処にいるのだろう。その理由を物語を執筆するかの如く想像した。例えばあの老人。妻に先立たれただ一人何もせず日々を過ごすうちに自分がどんどん参ってきていることを自覚して、何でもいいから打ち込めることを求めてやって来た。そんな物語を彼は持っているのかもしれない。

    そんなことを考えていると、バスは発車した。窓の外を流れていく景色に目をやる。男は窓から流れていく景色をただぼーっと見ているこの時間が、好きだった。しかし今日は雨で窓の外には水滴が付着しているし、車内と外では冷房のせいで温暖差が生じて窓の内側は軽く曇っていて外が見えづらい。まるで自分の将来のようだ。この雨のせいか、気持ちが少し悲観的になっていて普段なら気にも留めないようなことが気にかかる。

    幼少の頃、将来は野球選手になると夢を語っていた同年代の友人は早々に夢を諦め就職し、結婚して家庭を設けた。今でも時々顔を合わせるが、彼は俺は夢を諦めてしまったし夢を追い続けるお前を応援するなんて言ってくれるが、彼は夢を諦めた訳ではなくて賢明な選択をとったのではないだろうか。そうなると俺は愚かなのか。活字離れが進み出版業界の売上が落ち込んでいる今の時代は、物を書いて食ってくには益々難しくなった。それをわかっていながら夢を諦め切れずにもがき続けているのだから、やはり俺は愚かなのかもしれない。やめよう。そんなことを考えていると更に気が滅入る。もう今日は何も考えないでおこう。

 

    派遣先へ着くと、ロッカールームへと向かい作業着に着替える。少なからず文字を扱う仕事に携わっていたいと始めた今の仕事は、これから出版される本の梱包だ。しかし時たまに、かつて共に夢を叶えようと高めあった物書きの仲間が大成して出版した文庫を扱う時がある。間が悪く今日がそれだ。仲間の成功を嬉しく思うが、反面悔しい気持ちもある。そして今日ばかりは、ずっと気が滅入っているので祝福出来そうにない。俺は無心で朝まで働き続けた。

 

    終業を知らせるサイレンが鳴った。頬を伝う汗を袖で拭いとりロッカールームへも戻る。着てきた服へと着替えロッカールームを出る。外にある喫煙所のベンチに座ると、煙草に火をつけてバスを待つ。携帯を取り出す。一件の不在着信。今世話になっている出版会社からだ。折り返すには少々早すぎる時間かもしれないが、どうせ帰っても夕方まで寝て過ごすので、それなら早い方がいいだろうと折り返しの連絡をいれる。

 

    「もしもし、お世話になっております高本です。着信を頂いていたようですが、派遣の就業中で取れていなかったので折り返し連絡させて頂きました。」

 

    すると、電話口の女性が大きな声で私の担当者を呼ぶ。

 

    「もしもし、お電話代わりました坂口です。高本さん、嬉しいお知らせです。こないだ頂いた新作を編集長が大変気に入りまして。それでですが、我社で冬から新しい文学を出す予定がございまして、そちらの方で連載が決まりました!勿論読者の反応が良ければ文庫本としての出版も考えられます。」

 

    「本当ですか!是非、是非お願い致します!」

 

    「それではまた詳しいことが決まり次第ご連絡します。それまでに新作、書き進めておいてください。」

 

    「わかりました。ご連絡お待ちしております。」

 

    そう言って電話を切った。まだ少し信じられないが、とにかくやった。やってやったぞ。悲観的な気分も吹き飛び、今はやる気に満ち溢れている。帰って続きを書かねば。バスの到着が待ち遠しい。一刻も早く帰って書きたい。手に持っていた煙草はいつの間にか燃え尽き、フィルターだけになっていた。灰皿へと投げ捨てる。気付けば雨は止んでいた。雲間から太陽が射している。どうやら台風が過ぎたようだ。今日はいい天気になりそうだ。