忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

あっ、ファン繋がりやめたい!と思う瞬間3選

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    Twitterで毎週日曜日になると見かける、#日曜日だし邦ロック好きな人と繋がりたいっていうハッシュタグ、見るたびに「は?」ってなるんですよ。俺バカだけど学習能力くらいはあるし、毎週見てると慣れてもおかしくないはずなんだけど、慣れる気配がない。日曜日になる度に「は?」って言ってる。

 

    共通の趣味を持った知り合いほしいよな、わかるよ。俺なんて好きになる音楽が大体サブのカルチャー略して「サブカル」なんて呼ばれたりしてるくらいだから、余計に実生活で近い趣味を持った人に出会えたことがない。「シェア&いいね!」のこの時代にシェアが出来ない。俺だけシェアという機能が実装されてない。仕方が無いので、シェアしたい気持ちを「いいね!」を押し続けることで紛らわせている。

 

    すいません    6月16日

    ★★★            こたろー

    何故か僕にだけシェア機能が実装されません

    シェア機能追加のアップデートはきますか?

    デベロッパの回答

    きません。

 

    俺の実生活にシェア機能を実装するアップデートは来ないらしいので、そうなったらもうネットの世界に逃げるしかない。「ネットの世界で、俺は趣味友達を作る!」そう言って俺は、ワンピース(趣味友達)を求めてネット・ブルーを行く。

    勝手な憶測だけどみんなもそんな感じだと思ってます。そういうことにしておきます。

 

    ただ、実際俺はネットで共通の趣味を持った友達、俗に言うファン繋がりが出来てから感じたんだ。

 

     「なんか思ってたより良いもんでもないな。」

    「てかむしろファン繋がりダルいまであるくね?」

    「ワンピースいつ終わんの?」

 

    前振りが長くなったけど、この記事はこれからネットでファン繋がりを作ろうとする人に、俺が今までに経験したファン繋がりが面倒くさくなった事例を説明して、それを反面教師にしてみんながいいファン友達を作ることを目的とした教科書です。是非参考にしてください。そしてシェア機能が実装されてる方は是非これをシェアしてください。

 

事例1:ファンが盲目

    これはちょっと勝手な俺の意見だけど、俺はファンのあるべき姿というのは、そのアーティストが好きなことは前提として、それでいて正当に判断する目を持っているべきだと思っている。なんでもかんでも肯定するのは、むしろその好きなアーティストの為にもならないと思う。ちゃんと言ってやれ。「買うのは買うけどグッズマジでダセェぞ、デザイナーに力借りるとかしろ」って。

    俺は大森靖子が好きなんだけど、あの人最近ZOC実験室とかいうアイドルグループ始めて。さすがに応援できない。今までの靖子ちゃんの「ギター1本で!この声と私の全てを!届けてやる!」みたいな人が今は「ZOC♬ZOC♬みえてくる♬」とか言って踊ってんの。若い女の中で。既婚の子持ちが。キツい。

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    靖子ちゃん好きでZOC実験室も好きだよ!っていう人がいてもいいとは思うんです。感性なんて人それぞれだし。でも本当に今までの大森靖子さん見てた?ちょっと盲目的になってるんじゃない?とか思うわけです、俺は。それに、あまりにもZOC実験室でアイドルの顔をする靖子ちゃんを応援する声が多いので、いよいよみんなが盲目になってるようにしか思えなくなってきて、なんだか俺は少し失望してしまって、大森靖子ファン繋がりから消えました。靖子ちゃんの音楽は以前として好きだけど。

 

事例2:単純に疲れてくる

    ネットの中のものとは言えども、結局ファン繋がりも人間関係のカテゴリーの内にあることには変わりがない。みんなも現実世界で人間関係とかいうライアーゲーム、やってるわけじゃないですか。だから知ってるでしょ?あれのダルさ、めんどくささ。

    ファン繋がりを続けてると次第によくコミュニケーションとる人たちでグループが出来てきて、ライブの会場とかで会ってるうちに面識が増えて密接に関わり出すと、ネットだけでは知り得なかった嫌な部分とか見えてくる。それでだんだん好きな人とか嫌いな人とかできてきて、嫌いな人にライブ終わりご飯行こうよとか誘われても、困るんです。ネットだけの関係なら、スパって断って後でそいつのアカウントブロックして通報しておくだけで済むのに、既にグループも出来てるしそうするわけにもいかないしなとか考えてしまう。

    あと、〇〇さんと〇〇ちゃんがライブの後行ってホテル行ったらしい、とかどうでもいいんだよ。それをお前、わざわざ裏垢みたいなん作って、そっちで呟いてって…いよいよもう現実世界でやってることと何も変わんねーじゃねーか。

    こういう風に、ネットから派生した人間関係はやがて現実世界にまで侵入してきて、ネットですら気が休まらなくなる。ネットなんて違う自分になることができる仮想空間なのに。その仮想空間が現実世界とリンクする。それなんてSAO?

 

事例3:ただ趣味の話がしたかっただけなのに

    事例2と少し重複するんだけど、ファン繋がりが続いて密接な関係になると、もうファン繋がりと言うより、趣味の話もできる友達みたいな間柄になってくる。 別にそれが嫌なわけじゃないんだけど、スタートは現実世界で趣味の話が出来ないから趣味の話できる人を求めてネットにやってきたのに、こっちから趣味の話振らない限りその話はしないっていうのは、それは違う。趣味の話しろ、クーリングオフするぞてめえ。

    まあ100歩譲って、趣味の話もできる友達になるのはいいとしよう。でも順番間違えるな。趣味の話を先にしてから距離詰めてこい。いきなり友達みたいなテンションで来るな。ブロックするぞ。

    中にはね、現実世界で趣味の話できる人が出来ないからとかじゃなくて、そもそも人がいないみたいな人もいるんです。そういう人は「ネットこそ我が世界」とか言って、リアルにSAOしてるんですよ。仮想空間が現実世界とリンクするとかじゃなくて、仮想空間と現実世界がイコールの関係にあるんですよ。だからそういう人たちは、彼女とか彼氏とかそういう関係をもネットで見つけようとする。

    高校生の頃、ファン繋がりのアラサーの女性から「ライブ会場で会おうよ、腰フェチなんだけど腰触っていい?あとヨシヨシさせてくれない?」っていうDMが来て、まだまだガキだった俺は本当に怯えた。よく「〇〇ファンに悪い人はいない!」とかいうの、あれ、嘘です。います、普通に。傾向として少ない多いはあるけど、ゼロなわけがない。繰り返す。います、普通に。みんなも気をつけて。

 

最後に

    これは特に俺がファン繋がりが嫌になった印象的な出来事をリストアップしたもので、ファン繋がりの嫌なところだるい所はまだまだある。あるけど、それを感情のままに書きなぐってたら卒論みたいな長さになりかねないので自重しました。その卒論は俺が本当にネットを辞めるときに書くことにします。

    ちょっと長かったけど、ここまで読んだあなたならいいファン繋がりとまでは言わなくても決して悪いファン繋がりを作ることはまずないだろう。あなたが良いネットライフを過ごせますうように。それでは。

 

    ※俺が現段階で趣味つながりで仲良くしてる人たちはこの記事に書いてることの対象外なので、そのことだけは弁明しておきます。

星野源が好きか嫌いかの気持ちの整理がもう何年もつかない。

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 星野源を知ってますでしょうか?ミュージシャン、文筆家、役者としての3つの顔を持つあいつ。

 

 俺、この人が大好きで。特に、ミュージシャンと文筆家としての星野源が好き。役者としての星野源はドラマとか映画で少し見たくらいで、舞台も見たことがないので、語るほどには知らないが。でも、星野源のエッセイ本は全部買ってるし、CDはまだ持ってないけどいずれ全部買うつもりでいる。それくらい好き。

 

 星野源のエッセイにも音楽にも存分に星野源らしさで溢れてるのがいい。

 

 星野源が書く文章には、どこか安心感を覚える。それは彼の素朴な人柄がそうさせるのか、身近に似た考えを持った人がいそうな親近性と生活感があるエッセイの内容がそうさせるのかはわからないが。実際には俺はテレビで見る星野源しか知らないのに、まるで昔から俺も星野源もお互いを知っているようで、大人になって久しぶりに会ってもいままでと変わらない調子でバカな話をして笑ったり、時に真面目な話もして「あーこいつはいつまでもいい意味で変わらないな」なんて思うような、そんな安心感。

 星野源の文章は、読んでいるというよりも話して聞かせてくれるような、そんな感じ。それで、難しい言葉や表現も使わなければそんな話もしないし、わかりやすく言いたいことを教えてくれるから、全く聞いてて(読んでて)疲れない。

 

 音楽に於いても文章と同様に存分に星野源の人柄が溢れるが、それでいて文章と決定的に違うのは、生まれてからその曲を作った日までの星野源が過ごした長い時間が反映されているというか、早い話深みとか厚みが違うわけだ。文章ではある日や時期のことについて詳細に伝えられても、これまで全てを伝えることは到底できない。やってもそれはエグい量の文章になるわけで、そんなの誰も読まない。でも音楽は、サウンドの特徴から「昔こういう音楽聴いてたのかな」って思うときがあったり、その人のルーツやら影響を感じることで、なんだかその人のこれまでの人生が見える気がする。ぼんやりではあるが。

 じゃあ星野源の音楽の良さは具体的に何なのよ、という話に移行するのが当然の流れだけど、...すまない。それについてはいつか別の記事でみっちりと書きたいと思ってるので、今回のところは非常にフワッとしたまま終わってしまおうと思う。今は俺が星野源の音楽も文章も大好きだということさえ伝わればいいんだ。

 

 なんでかって、それが同時に星野源が大嫌いだって話をするためのフリになるから。

 

 もういっぱいあの野郎の嫌いなところあるんで、感情のままに書き殴るとそれこそ誰も読まないような文章量になりそうなんで、特に嫌いなところを挙げる。

 

 まず1つは、俺の好きな女優と共演しすぎなところ。みんなもドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」でこれまでずっと可愛かったガッキーこと新垣結衣がさらに可愛さを増すことになったあのドラマで、あろうことか恋人の配役にあの野郎が起用されたところ。逃げ恥の放送終了後のTwitterは「ガッキー可愛すぎる」「星野死ね」の2つのツイートが層を成してミルフィーユを作っていた。

 その他にもどん兵衛のCMで吉岡里帆との共演もそうだ。ガッキーに次いで吉岡里帆もときたら、もう俺の経歴と今後の人生と引き換えにでも、こいつを殺さねばとナイフを握ったが、京都在住の俺には東京は遠いので為す術なくテレビの前で泣いた。どんギツネかなんだか知らねえけど、擬人化する必要あったのかよそれ...別にリアル狐でよかっただろ...100歩譲って擬人化するにしてもなんで里帆なんだよ...鈴木奈々とかでよかっただろ...もう絶対どん兵衛食わねえ...とか言いながら泣いた。あ、思い出したらまた辛くなってきた。

 

 涙が溢れないうちに2つめ。それはあいつの素朴すぎるところ。星野源って、男目線からはよくわかんないけど、結構女性にはああいう顔が人気みたいで、事実俺の周りの知人友人にも「源さんカッコいい...たまらん...。」とか言う女性がいる。俺としては別にそんなことには腹は立てないし、むしろ「ふーん、ああいう顔も女の子ウケするんだな。」くらいにしか思わない。

 ただ、あいつはありのまますぎるから、ラジオとか出演したバラエティで下ネタ普通に言うし、AV大好きとか言いやがるんだ。ルックスでも女性人気あるのわかってて、そこに媚びて「AV...?なんですかそれ...?ちょっとわかんないですね...。」とか言わんところがサイコーにムカつく。そんでそんなエロさ全開の星野を「逆に好感度増す」とか言う女がわんさかいることにもムカつく。

 ちょっとは人に媚びてくれでもしたら、それをだっせえって笑うことで俺はあんたを好きでいれるのに。非の打ち所がなさすぎて、なんかかえって好きになれない。もうちょっとダメな部分とか隙を見せて欲しい。俺はそういう人じゃないと100%好きになれない。

 

 別に俺は星野源が好きな女優とばかり共演することに怒ってるわけでない。ガッキーと里帆と共演してる役者なんて他にももっといるんだし。ただ、星野源はアーティストとしての顔も文筆家としての顔もあるから。そんなうまくことが運んでいいのかよって思ってしまう。

 わかっている。俺は星野源に嫉妬している。役者も文筆家もアーティストも、これまで一度はいいなと夢に見て羨んだことがある道だ。でもだいたいはどれか1つに絞っても上手くいくことは少ないし、日本人気質な俺はそういった安定とは離れた特殊な道を行く勇気がなかった。それを星野源は3つの道全てを行って、そのどれもで成功している。これを妬まずに、何を妬めというのか。

 いいな、さぞ人生楽しいだろうな。俺もそんな風になりたかった。もしかしたら今からでもそんな風になれるかな?POP VIRUSに感染したらなれるかな?

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 星野源がなにか不祥事起こして思いっきり炎上とかしない限り、俺の中での星野源が好きか嫌いかの気持ちの整理がつきそうにない。

 

 

ポイントカードトラップ

 

    うちの叔母は母の代わりのように父子家庭の俺を小さい頃から面倒みてくれている。俺は叔母と祖母に育てられた。戸籍上も血縁的にもたしかに母じゃないけど、漢字にしたらどちらも「母」ってつくんだし、俺は2人を母と思っている。

    その叔母のことなんだけど、彼女はとにかく倹約家だ。倹約家が揃ううちの家系でもピカイチで倹約家。俺は突然変異のように全然倹約家じゃない。多分浪費家な父の血を引いてるからだ。よくコンビニで買い物して帰ってきたりすると、もっと安く買えるスーパーがあるのに、とボヤかれる。

 

    そんな叔母が夕方くらいに、いそいそと買い物へ出かけて行った。今日はポイントが2倍、とか言って。俺はそんな彼女を見て、ポイント好きだよなあとか思っていた。思えば、彼女はいつもいつもポイントと言っている。取り憑かれてるかのように。ポイントって現代の幽霊?

    今日はこれを買うとポイントが得だからとありったけのパンを買ってきたことが昔あった。っていうか今でもパンに限らずポイントがお得ならありったけ買ってくることはたまにある。

    でもありったけ買うもんだから、よく消費期限を切らす。ポイントはお得かもしれないけど、消費期限切らしてたら商品そのものを買ったことが無駄になるのでは?と言おうとしたら、消費期限が切れてもお構いなしにバクバク食べてたので一貫してるなあと感心して俺は口を閉ざした。

 

    それでもポイントのために欲しくもないものを買うのはそもそも無駄だと思うけど。ポイントって、お得に見せかけて貯蓄気質な現代人を刺激するいい言葉だな。ポイント5倍!とか、最高の煽り文句じゃん。ポイントカードってそういうトラップなのかも。

 

    叔母もけっこういい歳なので、バブルの黄金期からバブル崩壊後の不況だなんだ言われた社会への変遷を生きてきた人だ。だから倹約家なのだろうし、貯金もコツコツとする。まあ多分貯めることが好きなのもあるんだろうけど。お金も、ポイントも。

 

    以前買い出しについて行かされたとき、レジで下2桁の端数分ポイント使えば?と提案した。よくコンビニとかで俺もやるやつ。そしたら、そんなんもったいないやんか、と返された。ソンナンモッタイナイヤンカ?え?じゃあ聞くけど、貯めたポイント何に使うの?しつこく聞いたけど、彼女は何も答えない。これはあくまで俺の予想だけど、俺が煩わしいからシカトきめこんでるんじゃなくて、返す答えがないからじゃないだろうか。

    それとも俺が知らないだけで、スーパーのポイントを何百万ポイント貯めたらなにかいいことがあるとか、スーパーは貯めてるポイントの数で凌ぎを削る主婦の戦場はなのだろうか?いや、そんなまさか。

 

    貯金も節約も最早叔母のライフスタイルなので、今日も彼女はポイントを貯める旅にでる。ポイントを貯めたい理由も目的もないけど、それでもポイントを貯める。彼女の意思は硬い。

 

    浪費することがいいことだとも思わないけど、お金もポイントも使って初めて機能するものなんだと思うんです俺は。思うってか、実際そうだと思うけど。貯めるだけじゃ、お金もポイントを殺してるようなもんだよ。倹約も貯蓄もいいことだと思うけど、程々でいいんじゃない?浪費してこうよ。欲しいブランドのカバンが高い?いいじゃない。買えば。5万円が5万円分の価値があるカバンに変わるだけだよ。形が変わるだけ。なにも損はしない。くらいの気持ちでさ、浪費してこうよ。

いいね!って、それ本当に思ってる?

 

    友達との連絡のやりとりにLINEが当たり前になってメールを使わなくなった頃から、一気にその他のSNSも普及した。Instagramだったり、Twitterだったり。SNSが当たり前の生活を送る内に、俺たちはどんどん大切なものを失っている。奪われている。好きな子からのメールが来てないかとセンター問い合わせ中のワクワクした気持ちとか、フィルタリングサービスにギリギリ引っかからないエロを見つけたときの喜びとか。

    まあこんなのは別に失っても困らないものだ。俺たちが奪われた最も大きいもの、それは表現力。なんでもかんでも「いいね!」バカだろ。

 

    「吉岡里帆マジで細胞のバグかってくらい可愛いな。なんだあれ。」 「いいね!」

 

    「めちゃくちゃ腹減った!」「いいね!」    

 

    「やばい…財布どこかで落としたかも」「いいね!」

 

    留学生かよ。「いいね!」しか言えないのか??ていうか英語でもイエス以外にもうちょい喋れるだろ。外国人に対してとりあえずイエス言ってたら知らねえぞ?たまに話全然聞いてないときにイエスって言ったら、めちゃくちゃ嫌そうな顔されることもあるんだからな?俺のことだけど。でも本当になんでもかんでも「いいね!」しとけばいいもんでもねえだろ。腹減ったことの何がいいんだよ、財布落としたことの何がいいんだよ。

 

    まあ自分から返信送ったりするの苦手な人には「いいね!」はたしかに便利だ。返信送るの面倒な時にも便利だ。ダラダラ続くメッセージのやりとりを終わらせるのにも便利だ。すごい機能だなって思うよ。

    でも考えて「いいね!」しろ!財布落としたけど見つかったとかなら、「いいね!」もわかるよ。見つかって良かったね、の「いいね!」だし。あと俺が事故にあったけど生きてたことをTwitterで知らせたときについた「いいね!」は生きててよかったねの「いいね!」であると願う。決して、ざまあみろって意味の「いいね!」ではありませんように。

 

    本当にいい投稿だったときか、やりとりがダラダラ続きそうなときだけ「いいね!」にしませんか??わざわざ返信つけるのめんどいって人はどうかちょっとだけ頑張ってください。

    いやそれでも俺は「いいね!」を押すぞって方、いらっしゃいます?いたらちょっと手上げてください。……あっ、まだこんなにいますか。そうですか、わかました。俺が折れましょう。

 

    じゃあですよ、お願いする方向を変えて、SNS運営してる会社の皆様、「いいね!」以外にも何かボタンつくってくれませんか?「まあまあいいね!」とか「かわいい!」とか。それか「いいね!」を重複し押せるようにするとか。なんで「いいね!」だけなんですか??じゃあ「いいね!」がついてない投稿は全てよくないものだと??悪いものだと??そんな二進法みたいなことあります??お願いです。何とかしてください。出来れば「いいね!」じゃなくてお気に入りボタンに戻してください。「ふぁぼ」って言わせてください。あと人気芸能人のニュースに乗っかっていいね稼ぎするアカウント全部凍結してください。

サカナクションを知らないやつは今すぐに聴け、これは命令だ

 

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 こんにちは。今日はどうしても聴いてもらいたい音楽があります。良い音楽です。それもただ良いんじゃなくて、とても良い音楽です。認めます、いつも俺がこれ良いよって言うのは大体わけのわからないものばかりだ。でも今回だけは違う、信じてくれ。その音楽とはサカナクションだ。知ってる人も多いと思うがもしまだ知らない聴いたことがない人は今すぐに聴け。知ってる人も今一度聴け。そして俺がいつも書いてるクソの足しにもならないような雑記は読まなくてもいいけど今回だけは最後まで読み進めて欲しい。

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 最近の音楽、特にまだ人気に火がついてないよう燻ってる音楽は如何にインパクトを残せるかで凌ぎを削り合っている。俺がよく好む音楽も、鼓膜に嫌に残るような特徴的な声で脳裏にこびりついたり、歌詞を聴き取るまでに何度も聴かないといけないほど早口に歌い上げて「こんなに聴いてるのはもしかしたら好きだからかもしれない」って錯覚させるまるでイリーガルな投薬して調教するヤクザみたいな音楽とかそんなんばっかだ。今例に挙げたのはまだまだ氷山の一角で、人目を集めるアプローチの手法なんてのはまだまだある。

 こんな風になったのは社会のせいだ。没個性化が進んできて、このままでは良くないと突然個性を伸ばせみたいな教育するから俺たちは個性を伸ばすことに呪われた。でもそもそも周りに個性を備えた人間がいないし、個性の伸ばし方を書いた教科書もない。だから、とにかく人と違えばそれは個性なのではないかと勘違いした成れの果てが現状だ。でもみんな個性を知らないまま個性を伸ばす教育を受けたというバックグラウンドが同じなので、思考回路も同じ。個性とか奇抜さを売りにしてるサブカル男女がみんな似たような格好をしてるのはそういう理由だ。人と違うことをしようとしてるのに示し合わせたようにみんなが同じことするから、アイデンティティが確立できない。アイデンティティって、なんだ。そう言って、俺たちは頭を抱える。そしてサカナクションは言う。

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アイデンティティがない 生まれない らららら

 大事なことの全てはもう大体親か学校の先生に教えてもらったとばかり思ってたけど、まさかこの歳になってまだ教わることがあるとは思わなかった。それも教わるのが親でも先生でもなくて、サカナクションだとは。でもこの間違いに気づかせてくれて本当にありがとう。そうだよな、アイデンティティは生む生めないじゃなくて、生まれる生まれないだよな。無理に人と違うことして、それを個性と言い張って仮にそれが定着してもそんなのはただの虚偽だ。自分が元から持ってるものがアイデンティティに昇華するんだ。それを教えてくれるのがこの曲。

 

 まあ実際はアイデンティティがないなんて歌ってても、サカナクションアイデンティティが十分にあるんだけどな。

 

文学性のある歌詞

 別にわざわざ見出しをつける必要はないんだけど、そのほうが見やすいかなと思って。

 大体の曲って、メロディがあってそこにメッセージを載せていて、根幹にあるのは音だ。俺個人の見解だけど、メッセージを伝えるためにはダイレクトにわかりやすい形をとるのが得策で、あまり文学的になりすぎないほうがいいのだと思う。でも俺は文系だし自分からこんな風に文章書いてるくらいだからとにかく読むのが好きだから、どうせならわかりやすい言葉よりも様々な角度から吟味できるような表現や言葉を使って欲しい。そしてそれをするのがサカナクションだ。西野カナが「会いたくて震える」と歌った以降のとにかく歌詞にインパクトを残せばいいみたいな傾向に辟易としていた分、サカナクションの歌詞には本当に痺れた。歌詞に行き詰まって曲を一旦お蔵入りにするアーティストなんか聞いたことねえよ。

 小説開けたら文章が音に乗って自分の中に入ってくるような感覚があるくらい、独自の世界観があってそこに何を言いたいのか考察させる表現やワードセンス。エンドレスって曲の「見えない夜に色をつける」っていう歌詞、その歌詞の前後読んでも歌詞全部読んでも未だに想像も及ばない。夜の東側っていう曲は多分別れの曲だけど、夜の東側という言葉の意味がわからん。っていうかサカナクションの曲になんとなくでも何が言いたいか察することのできる曲が1曲としてない。だから楽しい。昔読んで難しくてわからなかった本を何年かしてから読むと、少しわかる部分があったりして楽しい感覚を覚えるのと似たような体験を、サカナクションの曲でも味わえる。

 まあでも、今はなんと言っても動画の時代だ。文章なんかもうオワコン。だからみんなもわざわざ推察しないといけないくらいの歌詞なんて嫌だよな。でも安心してくれ。

 

歌詞だけじゃなくて音へのこだわりもすごい

 ただ文学的な歌詞だけが売りのバンドなら俺もここまで好きにならなかった。サカナクションの最大の魅力は何と言っても型にハマらない音楽性の幅広さだ。最近の音楽シーンではポップでもありロックでもあるというのが多いが、サカナクションはそれに加えてエレクトロ・クラブサウンドを基調としたダンスミュージックらしさもある。

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 以前友人に誘ってもらって行ったサカナクションのライブ、SAKANAQUARIUM 10thANNIVERSARY Arena Session 6.1ch Sound Aroundで聴いたこの曲はサイコーだった。会場にいるリスナー全員が狭い座席で踊り狂っていた。歌詞もいいけど、音楽は読んで字の如く「音を楽しむ」ものだ。音を楽しめ。いや、音も楽しめ。

 ちなみに6.1ch Sound Atoundというのは約300本のスピーカーから音を出すシステムのことで、もうこれの臨場感ときたらエグイのなんの。昇天するレベル。いやマジで。ライブの音響ですらそこまでこだわるんだから、そもそもの曲の音をこだわらないはずがない。先に挙げた俺がよく好む嫌に鼓膜に残るような音楽とは違って、サカナクションサウンドは心地よく耳に残る。本当、曲によって音が全く違うし、興味を持ったら是非色々聴いてみて欲しい。

 

1曲1曲がどれも最高

 いかがだっただろうか。サカナクションは歌詞にもこだわりが強ければ、もちろん音へのこだわりも強いので曲をリリースするペースは確かにやや遅いかもしれないが、その代わり1曲の完成度がずば抜けて高い。最近の音楽、いや音楽だけに限った話ではないが、ちょうどいいものをテンポよく消費していく流れが今の世では強い。それっていいことなのかと聞かれたらよくわからない。でも俺は、ちょうどいいものをポンポン消費していくより、すごくいいものと長く付き合っていけたらなと思う。だから俺はこれからもサカナクションにはこだわりを強く持ち続けたままでいて欲しい。

 最近CM出演があったり、新しいアルバムのリリースが決まってたりと、サカナクションが長い製作期間を経てアウトプットするターンが今まさにきてるのでどうかこの機会に是非みんなにも知ってほしい。今回はそういう記事でした。それでは、良いサカナライフを。

生まれ変わったら俺は駅前の24時間営業のマクドナルドになりたい

 

    久しぶりに会う仲のいい友達と会って、喫茶店で話をした。昔からいろんな話をしている内に、そのうちお互い誰にも話してないようなことまで打ち明けるようになって。異性なのにな。なんでだろう。男女間の友情なんてあるわけがねえ、結局最後には棒と穴で乳繰りあうんだなんて持論を振りかざして生きてきたけど、こいつとの関係は紛れもなく男女間の友情だと胸を張って言える。これがもしそうじゃないなら、いよいよ本当にそんなものは存在しねえよ。

    久しぶりだって言うのに、お互い根っこが湿っぽくて陰気で、ちょうど水をあげすぎた植物のようみたいだから、楽しい話も程々に気に病む話ばっかりして、二人で凹んで、それでも頑張ってこうなって笑ってまた今度って写真を撮って解散した。

 

    それがさっきの話。明日は久しぶりに朝からバイトだから早く帰って寝ようと駅へ向かうとなんか人がわんさかいた。

    最近改装したばっかの駅だから、もしかして駅構内でタピオカでも売ってんのかと思ってそこにいた駅員に聞くとどうやら人身事故らしい。既に1時間近く経ってもまだ復旧の目処が経ってないらしいので、諦めて横断歩道を渡って向かいにあるマクドナルドへと来た。

 

    まあみんな考えることは同じだよな、わかってたよ。マクドナルドにも人がわんさかいた。なんとか空いてる席を確保してマックシェイクだけ頼んで電車の復旧を待つことにした。

    そして今これを書いてるんだけど、まあその間にもわんさか人が来る。帰宅難民が。ちょっと歩けば別の鉄道あるのにな。歩けよ。いや俺もか。

 

    こういうときにだけ俺はマクドナルド使うのずるいよなって思う。普段からマクドよりモスだろとか、友達とご飯食べに行くってときにマクドは違うとか、とにかくそういう態度をとってる。マクドナルドなんてもんは、一人でとりあえずなんか食べるときに行くところで、友達と行くとしてもとりあえず軽く食って時間潰すかっていう時にしか行かない。あとは今回みたいなこういうとき。実に都合のいい使い方。でもみんなそんなもんなんじゃない?

 

    これがもしマクドナルドが1人の人間なら俺は本当に酷いやつだ。

    「今日みんな予定あって誘い断られたし遊ぼうぜマクドナルド」「あ、今日はちゃんと友達いるしマクドナルドはいいよ」「やばい終電逃した、家泊めてよマクドナルド」「友達迎えに来てくれるからやっぱり帰るわ、ありがとなマクドナルド!」

    うーん、なかなかに悪い男だ俺は。マクドナルドの気持ち考えたことあんのか。でもマクドナルドはいつも俺の期待に答えてくれる。普段は利用されてるとわかっててそれでも俺の期待に応えてくれるし、俺が困ったときにもちゃんと手を差し伸べてくれる。こういうやつ、人間にもいるよな。普段あんまり目立たないけどいろいろ気を利かせてくれて、いざという時めちゃくちゃ頼りになるやつ。

    マクドナルドは人でいうならそんなやつだ。普段も何かと気が利く立ち回りで、困ったときにめちゃくちゃ役に立つ。しかも駅前のマクドナルドはもう役に立ちすぎる。電車止まったり終電逃したらみんなマクドナルドへ行く。今回がそうだし。

 

    いいな、いざという時に役に立つ存在。そんで普段もさりげなく人を支えてる存在。俺はそんな存在になりたいな。就活の面接で「あなたをものに例えるとなんですか」と聞かれて、模範解答は「潤滑油です」と答えろとあるけど、駅前の24時間営業のマクドナルドですも使えると思うな俺は。理由は上記のとおり。もし就活してる方、聞かれたら一度試してみては。

タバコやめたとやめているの差って?

 

    禁煙中だ。昨年の3月末の事故以来と考えたら、もう既に1年と2ヶ月ほど禁煙していることになる。

 

    事故で暫く昏睡状態になって、目が覚めて車椅子ででも自ら動けるようになった頃には最早タバコ吸いたいなんて気持ちは消えていた。

    以前も何度か禁煙してみたことはあったが、1日我慢出来たら頑張ったっていうくらい意思が弱かった。でも今回はスタート地点で既に最大の難関「吸いたい気持ち」がないので楽勝だと思っていた。

 

    甘かった。別に体はタバコを欲しがってないのに、それでもタバコ吸ってる人を見ると自分も吸いたくなる。

 

    そもそも今までタバコ辞めようなんて思ったことがなかった。金がかかるのも、健康を損ねるのも、煙たがられるのも承知でタバコを吸っていた。タバコが好きだった。

 

    今までの禁煙も嫌煙家の父が俺に禁煙させようとしたからしたまでだった。そう考えると今まで自分から禁煙しようとしたことがない。今回の禁煙も、医者に止められたしそもそも病院だから吸えないから、吸えない状態が長く続いてるだけで、それを一言で表すなら禁煙という言葉が近しいだけだ。

    だから、今でも飲食店やら街中の喫煙所、コンビニの前でタバコ吸ってる人を見たり、煙が風に乗って自分の方へとやってきて匂いを嗅いだりするとめちゃくちゃタバコが吸いたくなる。

 

    なので、1年が経った今でも禁煙中と言っている。タバコをやめた、ではなく、タバコをやめていると言うようにしている。

    タバコをやめている、やめたの境界線は時間ではなくて、気持ちの問題なのかもしれない。1ヶ月辞めようが、1年辞めようが、10年辞めようが吸いたい気持ちがあるうちは禁煙中だ。タバコをやめている状態だ。

 

    いつになったらタバコをやめたと言えるようになるのだろう。吸いたいのを我慢するのは、つまり欲望を押しつけて制御することであり、ストレスだ。このストレスを抱えながらこれからまだ何年何十年と生きなければならないのかなと考えると、それがまたストレスだ。

    こんな小さなストレスを抱えたときこそ、まさにタバコの出番なのになあ。そう思うと吸いたくなるな。でも我慢しなきゃだしな。辞めたくなくても、本来1日禁煙出来るかどうかの俺がここまで続いてるのに、今更吸うのは勿体ない。でもストレスに感じることはたしかだ。なにこれ負の連鎖じゃん。

 

    タバコは百害あって一利なしなんて言うけど、その通りだな。金かかる、健康損ねる、印象悪い、匂いが気になる、の四害くらいしかないと思ってたけど、本当に百害くらいあるのかもしれない。いや、嫌煙の波が高まるこの時代、もう百なんかじゃ足りないことも有り得るな。

   

    早めにタバコを辞めといたほうが良さそうだな。俺はそう思う。今絶賛喫煙している方も、この機会に是非一考してみればどうだろうか。