惰性とアイデンティティVSハートマーク
Apple Musicを知っているだろうか。
Apple Musicというのは月々定額支払うことでApple Music内に存在する曲なら聴き放題ダウンロードし放題といったサービスである。
かくいう俺もApple Musicユーザーの1人だ。
以前は親の影響でコブクロしか聴いていなかった俺も、インターネットを介して様々な音楽に触れるようになった。
それからは所謂サブカルという領域に属されるアーティストを好むようになり、TSUTAYAに行っても目当てのCDが得られない俺はApple Musicに大変お世話になっている。
Apple Musicにはお気に入り機能のようなものがあって、曲にハートマークをつけることが出来る。
このハートマークをつけると、情報が送信され、それに似た曲がユーザーに推奨される。
「この曲いいな。よし、ハートマークつけとこう。」
「お、ハートマークつけてるってことはその曲好きなんですね?でしたらこの曲もお気に召されると思いますよ。」
といった感じを思い描いてくれればいい。大変便利で素晴らしい機能だ。
俺は音楽は好きになった曲だけを聴くことははない。
俺は様々なアーティストの好きな1曲1曲をまばらにプレイリストに登録するのではなく、好きになったアーティストの楽曲全てをプレイリストに登録する。
たとえあるアーティストの1曲が非常に好みでも他の曲があまり趣味に合わないとプレイリストには入れない。
つまり俺のプレイリストに入ってる楽曲は、その全てが好きな曲である。
このプレイリストに入れる曲の選び方は、俺にハートマークを用いた優劣を付けれなくする。
それには俺が考える音楽シーンにおけるファンの理想像が関係している。
俺が考えるファンとしての理想像は、曲をしっかりと受け止めた上で、時に厳しい評価もするが、結局のところ根本的にはそのアーティストの曲は全て好きでいれる人間だと思っている。
しかしあくまでこれは理想なのである。実際のところアーティスト1つ挙げても、そのアーティストの楽曲全てが平等に好きな訳ではなく、そこには確かに嗜好に基づいた優劣がある。
相対性理論なら、「LOVEずっきゅん」は2番目に好きな曲で、一番に好きな曲は「ミス・パラレルワールド」だ。
チャットモンチーなら「バスロマンス」が2番目に好きな曲で、「恋の煙」が一番に好き、といった具合だ。
好きの優劣だけで済めばいいのだが、本音を言うと、そこまで好きじゃない曲が数少なくではあるが俺のプレイリストに数曲存在する。
例えばPerfumeの「ビタミンドロップ」や「スウィートドーナッツ」。
あれとかまじで耳が痛くて正直聴くのしんどい。
それでも聴くのが正直キツい曲をプレイリストに登録しているのは完全に惰性が1つと、もう1つがアイデンティティを保つためである。
俺はPerfumeがとても好きだし、実際彼女達の楽曲のほとんどが好きな曲であるからたった数曲の聴くのがキツい曲のために全曲プレイリストに入れないくらいならば、聴くのがキツい数曲を入れてしまおうというのが惰性。
プレイリストにとりあえず入れておくことで、プレイリストにある=好きな曲→つまり俺にPerfumeで好きじゃない曲なんてない!てことはやっぱり俺はPerfumeのファンなんだと考えることでアイデンティティを保っている。
しかしどうしても脳は騙せても体は騙せない。
シャッフル機能で「ビタミンドロップ」や「スウィートドーナッツ」が流れてくるとスキップしてしまう。
だから俺は「不自然なガール」や「ナチュラルに恋して」(どちらも俺の好きなPerfumeの曲)にハートマークをつけたとき、惰性と、アイデンティティの保護のために「ビタミンドロップ」や「スウィートドーナッツ」にハートマークをつけて、似たような曲が推奨されると思うとハートマークが押せない。そういう話。
そういえばこの前Apple Musicの期限が切れて、Apple Musicからダウンロードしていたミュージックが全てプレイリストから消えた。
「MUSICVIDEO」や「FRIENDS」が好きなばかりに半分ほどはまだあんま聴いたことのない岡崎体育がプレイリストから一時的に消えてくれたことには少しホッとしてる。
それじゃあ。