無題

タイトルとか考えるのが恥ずかしい

無題

 

帰り道駅の中を歩いてると、前に親子がいた。スーツを着こなしたお父さんと手を引かれて歩く小さな女の子。娘と繋ぐ手の反対にはおおよそ成人男性には似合わない2次元キャラが描かれたピンクの魔法瓶とお弁当箱入れ。少し俺の口角が上がってしまってるのは、その不釣り合いさが故なのか幸せそうな親子の後ろ姿なのかはわからない。いつか自分もお父さんになれるんだろうか。

ふと後ろを向くと小さな男の子。前の女の子と同じ学校の制服を着ているし、歳も近そうなところを見ると、この子も前のお父さんの息子な気がしてきた。

 

(パパさん!息子さん遅れ気味ですよ!!)

 

って言いたいけどまだ息子という確証もないので様子見してたら、気づけば地上に上がる階段の前まで来ていて、前の親子は右手の階段を、後ろの男の子は左手の階段を登っていった。

なんだ、親子じゃなかったのか。危うくお節介野郎になるとこだったと肝を冷やしてると、ふと思った。肝を冷やしながら思った。

ってことはあの子1人じゃん。

恐らくまだ小学生になりたてくらいのあの小さな男の子が、1人で電車に乗って学校に行ってるってことになる。それって凄くないか?少なくとも俺は小学生の間1人で電車に乗ってどこかに行くなんてことは1度もなかった。用水路に入って魚探して捕まえたりとか、鬼ごっこで走り回ったりしてたくらい。多分偏差値2くらいしかなかった。そう思うと今までなにも気にしてなかったけど、最近の子供たちはすごく大人びてる。自分の手よりも明らかにでかいスマホをもってゲームで遊ぶ子達、映画館の近くでイチャつく小さな男女。そういやこの前テレビで見たけど最近の小学生に夢を聞いたら公務員とか会社員とか現実的な夢を言う子が多いらしい。俺が子供の頃はスポーツ選手とか仮面ライダーとかそんなんだったけどなぁ。恐らくそういう時代なんだろう。

 

俺が一口に子供って言っても、意味としては自分がそうだったように腕白で外で遊んでるような元気な子達ってつもりなんだけど、今の認識はもう違うんだろう。時の流れは言葉の意味さえも変えていくほどすごいパワーを持ってるみたいだ。そのすごいパワーの中で自分がどう在るか。どう変わっていくか、どう変わらずにい続けるか。時間が持つ大きなパワーを生かすも殺すも自分次第で、どんな未来にも繋げられる。でも時間はどこまでも流れいてく川のようにあり続けるけど、俺達はいつかどこかで消えてしまう。そういったことを認識することで、ただ何となく過ごす日々の生活をもっと貴重に感じれるだろう。

俺ものんびりはしてられない。あの親子のように幸せな家庭築きたいなら彼女探さないとなぁ。

 

それじゃあ。

 

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