忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

グローバル化しすぎも良くないよ。マジで。

 

昔から言葉が好きで、常日頃からそういうことに考えを巡らせてる。破天荒って言葉、最近間違った意味で使われ続けてるから、そのうち意味がすり替わりそうだなあ、とか。この話はまたいつか別の記事で書くかもしれないっす。そんで本題。

 

最近、言葉の汎用性の拡大が凄まじい。いやほんとに。「エモい」に関してはもうひどい。なんでもエモいで済ませれる。いやほんとに。例えばさ、服がエモいとか曲がエモいとかは、いい感じとかオシャレとかそういうニュアンス。まだこれはわかるじゃん?御歳22の俺もギリついてける範囲。でも今のティーンエイジャー半端じゃないよ、マジで。パンケーキ食ってエモいとかぬかすから。脳味噌の代わりにパンケーキでも入ってんじゃねえの。

 

ちょっと話は変わるけど、俺は高校から英語と国際学を専攻に学んできた。英語がちょっと出来たからその道に進んだんだけど、学べば学ぶほどに英語の単語の汎用性に絶望した。意味をひとつとっても、様々な言い方や単語で表せられる日本語のそういうところが好きな俺は、なんだか英語は難しかった。同じ単語でも、その場の状況とか言い方とかで意味の度合い強さが変わったり、意味自体が変わったり、そういうイマジネーションで補うのがうまく出来なかった。

 

この経験を踏まえて、最近の日本語は英語っぽくなってきてるなと感じる。エモいの本来の意味が「言葉に表しにくいが、いい」というものだとすると、対象が食べ物の場合「いい」は「おいしい」に変わるし、服とか曲のときは「オシャレ」みたいな意味に変化する。

好きなバンドの新譜を聞いて「エモ。」って言うのと「エモ…。」って静かに呟くだけで、感動の程度の違いを表す。

国際学専攻してる身として、グローバル化が悪いことだとは思わないし、むしろいいことだと思うけど、守っていくべきものはちゃんとわかっておいたほうがいいかもしれない。