平成最後が生んだ平成最後のジレンマ
今日は朝から居心地が悪い。みんながみんなして平成最後って言ってる今日が、居心地悪い。みんなが一勢に同じ方向に向かうような、同調圧力というかそういう目に見えない力が嫌いだ。昔から嫌い。
そういう力が自分に及ばないとき、まるで自分が疎外されてるような、世界に1人取り残されたような気持ちになる。
俺は別に平成最後の今日が言うほど特別に思わないし、思わないから、みんなが平成最後って言ってるのを見ると、不安になる。俺はみんなと違うのかなと感じる。
別に同じじゃなくていいのにな。日本人だから、マジョリティに属せないと不安になるんだ。そういう不安とか疎外感を取り繕うとして、思ってもないのに平成最後って言おうとしてしまう。
平成最後って言ってる人の中にも、俺みたいな理由で言ってる人がいるんじゃないだろうか。
ただそういう理由で、平成最後って言ったとき、俺はきっと自己嫌悪するだろう。
俺はみんなと同じでないと不安に感じる典型的現代日本人だけど、同時に同じであることが嫌いだ。俺が国際系を専門に勉強してるからかなのかはわからないけど、とにかくみんな同じは気持ち悪い。
だから、そういうみんな同じの没個性に飲み込まれたくなくて、同調圧力に屈したくない。
今俺の中で、「同じじゃないと不安」と「同じにはなりたくない」という、2つの相反する気持ちがぶつかっている。
そうだ。これを平成最後が生んだ平成最後のジレンマと呼ぼう。