忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

バイトをダルく思うその気持ちも実は幸せのカテゴリーの内

 

    何度も話すことになるが、一年前に事故にあってそこからほとんど病院で過ごして、2ヶ月くらい前に晴れて自由の身となった。

    そこからは自宅療養していたが、それもだいぶ良くなってきてついにバイトをすることに決めた。1年ぶりのバイト。

    そして今日、初出勤というわけだ。久しぶりに乗る平日朝9時の電車ってこんなに人が多かったかな。毎日乗ってたのに、1年経つと人は忘れてしまうんだな。振り返ればこの1年早かったような気もするけど、実際は長かったんだな。

 

    何も生産性のない1年を過ごしてきたから、バイトっていう生産性のあること、1日の内に予定があることが嬉しく思うだろうなって昨日までの俺は思ってたけどいざ電車に乗るとめちゃくちゃ行きたくない。ダルい。バイトがダルいことは不変の真理だ。

 

    今からそんな気になってちゃいかん、と自分を奮い立たせる。生産性があることの素晴らしさを噛み締めようと、俺は生産性もなければあるのは苦痛だけのあの日々を思い出すことにした。

 

    意識が戻った4月。腰のあたりに4本と右足に2本、外から見えるようにして鉄の棒が刺さっていた。おかげで寝返りは出来ない。右手は包帯でぐるぐる巻き。体は30度の角度までしか起こせない。おまけに声帯もやられて声が変。

    当然トイレにも行けないのでオムツ。シルバー川柳かなんかで、「紙オムツ 地位も名誉も 吸い取られ」なんてのを見たけど、20歳そこらでオムツは全てを失った気になったぜ。

    あと飯は離乳食みたいなドロドロしたやつ。お茶も寝ながら飲むので、むせては行けないのでとろみを付ける粉末でちょうどあんかけ飲んでるみたいだった。

 

    初めて車椅子に乗れた5月。病室の外の世界はに感動するのも束の間、手術ラッシュ。週一くらいの頻度で手術。麻酔から目を覚ますと吐き気がして体がダルいし、尿道には管が通されている。

    食欲も失せてしばらく食わなかったが、ある日限界が訪れて熱でだるいからだを無理やり起こして左手でスプーンを使って食べた。涙が出た。それでも食べた。泣きながら飯を食ったことなんて子供の頃以来だ。泣きながら飯を食ったことがあるか?食わなきゃ死ぬかもしれないって思いながら食う飯は塩辛くて食えたもんじゃねえぜ?

 

    それからも苦しいこと色々あったけどまあ今となってはいい思い出と言うか、いい経験だったかもって思えるよ。星野源地獄でなぜ悪いのMVのエンディング部分パロディしたの面白かったし。

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    看護師さんは可愛かったし。てか、看護師ってなんでかおばさんなイメージがあったけどみんなめっちゃ若いの。白衣の天使ってマジいんだなって思ったよ。ものの数カ月で堕天されたけど。でも可愛いことには変わりない。だからそれこそあれこれやってもらわないといけないくらい満身創痍だった頃、いっそおばちゃんでいてくれよって思って若さとか可愛さに心の中でキレてた。

 

    あれ、何の話だこれ。完全に途中から入院中の話じゃねえかよ。違うんだ、そんな過ぎた話はもうどうでも良くて(でも少し知ってほしかったから書いたけど)、それほど辛い上に生産性もないのは読んで字のごとく生き地獄だったっていうこと。

    だから、それに比べたら、自由で、生産性があることをダルがれることはもしかしたら幸せなことかもしれないなって思えた。まあそんな話をし始めたら、水道から綺麗な水が出るだけ幸せとか日本に生まれただけ幸せとか、上を見てもキリがないように下も同じだから。

 

    幸不幸とかは相対的だし、別に人と比べる必要もないんだけど、自分の人生で幸せだったときとそうでない時を比べて、今の自分を確かめたりするくらいはいいんじゃないかなって感じたという話だ。

 

    そして少し時間は経って、俺は今帰りの電車中だ。行きしなにこんなことを考えて自分を奮い立たせはしたが、あまりにもダルかったので早速やめようと考えている。仕方ない。一度今までバイトしてきた中でダルかったことを思い返したが、今日がダントツでダルかった。

   自分の過去と見比べても、今が最もしんどいと感じたとかは迷わずしっぽ巻いて逃げような。為す術もないから。少なくとも俺はない。誰かこういう時に為す術がある人は是非教えてください。参考にしたいので。