忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

句読点をつけるのがヘタ

 

    なんかの記事書いてて、書き終わったから一応見直ししとこうと思って見返すと、いつも文章が長いことに気づく。マジで意味わからんくらいひとつの文章が長い。

    それは俺がやたらと読点をつけるからだ。読点って言うのはアレだ。文章を読みやすくするためにつける点でこれ「、」のこと。俺はどうやら読点をつけるのが好きなのかやたらと読点をつけてしまう。

 

    読点は文章を読みやすくするため以外にも、強調したりすることにも活用できたりする。読点は文字の世界にしかないものであって、現実の話し言葉では読点の代わりに間を作ったりする。

    そもそも話し言葉に於いていちいち間を作って話さなくても普通に相手には伝わるんだけど、それでも間を作るとそれは強調しているように感じる。少しの間が「今から大事なこと言うぞ」みたいな意思表示のように思える。だから書き言葉では「実は」の後に大体読点がついてる(って勝手に思ってる)。「マジでだるい」と「マジで、だるい」だと後者の方がダルそうに思えませんか?読点にはそういう働きもある。

 

    ただ文章を読みやすくする以外にもこういう使い方で読点をつけてると、マジで文章が長くなる。あと、俺は句点を付けるのは文章だけでなく内容にも一段落ついたときにしかしないので、そうなってくるともういよいよ文章の長さがバカ。それを踏まえて意識せずに前あった少しの出来事を文章にしてみる。

 

    「昔駅のホームで電車を待ってたら、小さい男の子が俺の方にやってきて『今外すごい雨降ってるよ』って言ってきたので、どちらかと言えば小さい子でも人見知りする俺なんだけど、さすがに小さい子を無視するわけにも行かないと思って、『マジで?教えてくれてありがとう!優しいね!』って精一杯の笑顔で話してたら、その子のお母さんらしき人がやってきて、俺はてっきり『すいませんウチの子が』なんて言われるんだろうなと思って、『いえいえ、可愛いじゃないですか』くらい言ってやろうと思ってたら、『やめてもらえませんか』って一言ピシャリと言われたんですけど、いくらその時の俺の見た目が赤髪だからって、さすがに酷いと思いません?」

 

    これがひとつの文章。ノー句点。意識して書かないとこうなるって言うのがヤバい。文才がないとかもうそういうレベルじゃない。文章書かないほうがいいってレベル。いや、マジで。

    別に話にオチがつかないと句点つけたらいけないなんてルールはないんだし、もっと句点付ければいいと思う。駅のホームで電車待ってたら小さい子に話かけられた、っていうところまでで1回切ったらいいのに。いや自分のことなんだけど。なんで出来ないんだろうな。

    綺麗に終わるところまでじゃないと句点をつけないし、代わりに読点をつけるなんてしてもいくら文章を読みやすくする読点でも限界はあるし、かえって見にくくなってしまう恐れもある。そんな文章は誰も読みたくならないし、実際のところ読まない。句点と読点のことを合わせて句読点なんていう言葉があるくらいだし、句点と読点の数もほとんど同じくらいになるべきだ。ひとつの文章に句点と読点が共にひとつみたいな。今の俺は句読点じゃなくて句読読読読読読読読読読読読読読読読点なんて感じだ。

 

    人生を語るにはまだまだ浅い歳だけれど、これは生き方にもそうなんじゃないかと思う。これまでの出来事も全部地続きで、これまで起きたあれこれに句点ではなくて読点をつけてる気がする。だから昔起きた嫌なこと全てにまだ気持ちは晴れていない。逆に今まで経験したいいことと今を比べたりして「あの時の方が楽しかったな」なんて思ったりしてうまく楽しめないこともある。句読点をつけるのが下手はすなわち生きるのが下手なのかもしれないな。

    まずない話だけれど、俺の今までの人生を誰かが本にしたとしたら、最後の死ぬっていうオチでようやく句点がついて、それまではずっと読点しかない読みにくい本になるんだろうな。

 

    句点、つけなきゃなあ。