忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

いい褒め方、わるい褒め方

 

    人が喜んでいるのを見るとなんだか自分まで嬉しい気持ちになる。喜んでる「人」によるけど。嫌いな「人」が喜んでる姿は少し腹立たしいけど、好きな「人」が喜んでる姿は嬉しい。特に俺が何かをしてそれで喜んでもらえたとき、嬉しい気持ちは何十倍にもなる。人に喜んでもらうことは意外と簡単で、もちろん喜びの度合いは様々だけど、簡単なことなら誕生日におめでとうって言うとか。もっと喜んでもらいたかったらプレゼント渡すとか。

    でもこういう喜ばせ方は時が限られてる。誕生日おめでとうも誕生日プレゼントも誕生日の日しか出来ない。誕生日じゃない日に誕生日おめでとうって言ったり誕生日プレゼント渡しても、「誕生日じゃないよ?」って言われるだけだし、むしろ「こいつ誕生日覚えてくれてないんだ」って気を悪くさせるかもしれない。じゃあ日常でも使える人の喜ばせ方ってなんなのか。それも簡単に。

 

    答えは褒めること。褒めることは日常的に出来るし、プレゼントとかみたいに準備もいらなければコストもかからない。あまりにもべた褒めして太鼓持ちみたいなのは返って印象が悪いけど、「髪切ったんだ、似合ってるね」とか言うだけでも相手は充分嬉しいはず。

    そういう訳で、俺は普段から結構人を褒めているような気がする。決して思ってないこと言ったりはしないけど。わざわざ口に出して褒めるようなことじゃなくても、わざわざ口に出して褒めたりする。飲食店で飲み物頼むときについでにグラス空いてる人に「何かいる?」って聞いたりするのを見ると、「気遣いできていいね」とか言う。「いや別に普通だよ」って言われても、「その普通がすごいんだよ」と褒める。そこで「そうかな、ありがとう」って言われたらそこで終わるし、「そうかな」とだけ言われても「そうだよ」としか言わない。それ以上は褒めない。だってそれ以上は太鼓持ちみたいな感じがするから。

 

    こんな風に人を褒めるのは、もちろん自分が嬉しい気持ちになるからってのもあるんだけど、もう一つ別に理由があって。俺はみんながお互いを褒め合えばもっといい暮らしになると本気で思ってる。今の暮らしはストレスとかそういうので他人にあたったりして、それがまた誰かのストレスになってそれを誰かにぶつけて…の悪循環。じゃあその根本的にストレスをなくしてしまうのが一番良くて、その方法が褒めることだと俺は思ってる。だから、俺じゃない誰かが別の誰かを褒めてるのを見ると「いいぞもっと褒めろ」って心の中でそれを褒めてる。

 

    なんだっていい。「かわいいね」「そのネイルいいね」「足長いね」「服オシャレ」「歌上手いね」。褒めろ。とにかく褒めろ。

 

    「初めまして、俺こいつの高校の友達のりく!マナちゃんで合ってるよね?こいつから聞いてたよ!大学で出来た友達がめっちゃ可愛いって。ほんと可愛いね!石原さとみに似てるってよく言われない??」

 

    待て。待て待て止まれ。見逃せない。とにかく褒めろって言ったのは俺だけどそれだけは見逃せない。りく、お前前半はよかった。かわいいねって褒めつつ、誰か知らねえけどマナちゃん紹介してくれたお前の友達もかわいいって言ってたってさりげなく挟むのがいい。一人で二人分褒める高等テクニック。やるじゃん、りく。ただ最後がいただけない。「石原さとみに似てるってよく言われない??」だって???は???お前それは違うぞ、それは悪い褒め方だ。

    お前としては美の頂点・可愛いの化け物である石原さとみに似てるってよく言われることないって聞くことで、石原さとみに似てるってやんわりと表現して相手を褒めたつもりだろう。ただな、それは間違ってる。それは悪い褒め方だ。この褒め方は結構みんなやるんだけど、これは人によっては本当に良くない褒め方なんだ。だって「石原さとみに似てる」ってそれはその人の否定じゃないか??それを言われたら、もうそれ以降「可愛い」って言われても「ハイハイ私が石原さとみに似てるからでしょ」って思う。もし俺がマナちゃんだったらの話な。私は私自身を可愛いって言われたいのに、なにが石原さとみだふざけんな!!

 

    この没個性のご時世、せめてルックスっていうハッキリ目で見える部分くらいちゃんとオンリーワンで見てほしい。それを別の誰かを持ち出して、その別の誰かに類似する自分を褒められてもちっとも嬉しくないしむしろ気分悪い。誰かに似てるって言われるのは、自分がその誰かのスペアみたいに言われてるような気がする。なんでみんなしてアイデンティティを潰すんだ。例えば俺とお前が双子みたいにそっくりな見た目でも中身は全く違うからそれでいい。俺はお前のスペアじゃないし、逆もそう。俺は俺、お前はお前。褒めるときはその人を褒めろ。その人だからこその部分を褒めろ。別の何かや誰かを持ち出すな。

 

    「えっ、石原さとみは言い過ぎだよ〜!!」

 

    そう言ったマナちゃんの口角は少し上がってたし、その後もずっと下がることはなかった。後日、マナちゃんのTwitterを覗くと、

 

    「こないだ友達の友達に石原さとみに似てるって言われた、そんなことないけど嘘でも嬉しい〜」

 

    と言っていた。

  

    これ、俺が考えすぎなの?みんなこの褒め方されて素直に喜ぶ人が多いみたいだけど。俺が考えすぎなのかなあ。