忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

生きるとはバランスをとることなのかもしれない

 

    ネットって便利だよな。顔とか名前とか自分に関連する情報を全て自分の意思で非公開にできる。ネットでは、本来の自分から乖離して、新たな人格になれる。

    

    現実の世界では、発言すると、その内容によって人からのイメージとか評価が全て自分に返ってくる。心無い言葉を言おうもんなら、あの人はそういう人なんだと嫌われたり、敬遠されたりする。

    でもネットでは、発言しても、発言した自分は靄の中に隠れていて、自分に何か返ってくることはない。仮に返ってきたとしても、被弾したのはネット上だけの人格で、それは本来の自分から乖離してるので、本体にダメージはない。

    そんなんだから、そりゃネット上では暴言とかが飛び交う。媒体によって程度はあるけど。酷いところは本当に酷い。ネットだとしてもよくそんなこと言えたな、って言葉で賑わっている。

 

    ただ、少し視点を変えて考えてみる。もちろん許されたことではないんだけど、この人もそうなるまで現実で追い込まれてるのかなと思うと、少し心に余裕ができる。

   この人も現実で追い込まれて、ネット上で別の人格にすり替わって他人を攻撃してバランスとってるのかもしれない。ダメなことだけど、そうだとすると少しだけ同情の余地もある。

    きっとその人も、そんな心無い言葉は本心じゃないんだ。ただ、現実でのストレスがそうさせているだけなんだ。そういう意味では、その人もまた被害者なのかもしれない。それで誰かをネット上で攻撃するのは、負の連鎖だけど。

 

    でもそれで、攻撃を受けた人が、誰かにそれ以上攻撃しなかったら、もう負の連鎖ではない。負の終着点だ。

    そして、俺はその負の終着点になれたらな、と思う。俺は、あんまり自分に自信がないから、自分なんかが誰かの欲望を満たせたり、役に立ったり、要求に応えられると、それが満足なんだ。幸せなんだ。

    俺はネットの言葉なんか大して気にしないし、裏に現実世界のストレスとかそういう事情があるかもしれないと思うと尚更気にならないし、それで俺なんかを攻撃して悪い流れが終わるなら、喜んでその役になりたい。

    俺がそうすることで、これ以上傷つかなくていい人が傷ついたりしなくて、既に傷ついた人の傷が少し癒えるなら、もうどんどん俺を攻撃してくれ。俺本体なら何してくれたって構わない。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。

 

    みんな、拳を振りあげろ。銃を構えろ。武器を持て。目標は、ここだ。さあ、こい。