忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

双子じゃなくて良かった

 

    動画で聞く自分の声に、キモッッッッって思った経験みんなあるよね?俺はある。数え切れない程ある。もう動画で自分の声聞く度毎回思ってる。人間なんだし学習能力くらい備わってそうなもんなのに、毎回初めて自分の声を客観的に聞きましたばりの新鮮な感じでリアクションしてる。あれなんでなんだろ。

    結局人間は客観的に見た自分に嫌悪感を抱くもんなんだろう。なんの確信もないけどなんかそんな気がしてる。客観的に見た自分を好きでいられる人間に出会ったことがないからだろうか。自分の経験の中にないことをそれをイコール普通だと認識しているのかもしれない。視野が狭いな。嫌だな視野狭いの。

 

    俺、あんまり視野が狭い人が好きじゃなくて。つーか嫌い。今の俺がまさにそうなんだけど、自分の経験則を基準に勝手に「普通」を定義して、それを信じて疑わない人。話しようとしても話にならないんだよ。何言っても、俺が普通でお前が普通じゃないから聞かないみたいな態度とるの。やってらんない。マジで。やってらんない。

    だから俺は普段からなるべく視野が狭くならないことを心がけてる。じゃあ視野が狭くならないようにいるためにはどうすればいいと思う?これは俺個人の意見なんだけど、客観的視点を持つことだと思う。例えばあなたと反対の意見を持つ人がいたとする。こういう時、俺は視野が広い人なら時と場合によっては自分の意見も柔軟に変えれて、賛同できない時も否定こそせず相手の意見を理解しようとする人だと思う。相手がそういう意見を持つまでに至った経緯とか背景をいろいろ想像して、できる限り相手の意見も、それが例え自分が賛同できないものでも尊重する。そういう人に俺はなりたい。

 

    そういうわけでなるべく客観的視点を働かせて日々を生きている。自分のことも客観的に見ながら。で、ここで最初言ってたことが関係してくるんだけど。客観的に見た自分には嫌悪感を抱くんだよ。この際みんながみんなそうじゃないとかはもうどうでもいい。でも俺にはこれが当てはまる。そう、つまり自分が嫌いな視野が狭い人間にならないように生きてたら自分に嫌悪感抱くの。なにこれバグ?どうしろっていうの?

    俺の自己肯定感があまりにも低かったりするのは自分に嫌悪感を抱きながら生きているからだろうか。自分を客観視して、それで嫌悪感が生まれて自己肯定感が低くなって、ウザイくらいに謙虚にいようとする自分を客観的に見てまた嫌悪感が生まれる。負の連鎖。連鎖って聞くとぷよぷよ思い浮かべるね。連鎖なんて言うくらいだからいつか全消しなんてテロップが軽快なサウンドと共に出てくれてもいいのに。消えるどころか募っていくの。それにどこまで積んでもゲームオーバーにならないの。何このクソゲー。終わるには根元から電源切るしかない。それってつまりスーサイド。リセットボタンなんてない。

 

    もし双子に生まれてたら、と想像した。ただでさえ自分の内面を客観視して吐きそうなほど嫌悪感積み上げてるのに、その上自分の生き写しみたいなやつを物理的に客観視するの。そんで自分の外見の要素にも嫌悪感生まれる。俺、自分の笑った時の口元が嫌いで。歯並びが悪いのが特に目立つんだよ。写真とかでたまに見る度にちょっと嫌な気持ちになるんだけど、双子だったらもっと高頻度にそうなってたってこと?想像するだけでキツい。吐きそう。どんだけ嫌悪感積めばいいんだよ。それこそ根元から電源落としてたかもしれない。良かった。双子じゃなくて。

 

※別に双子を悪く言ってるわけではなくて、もし俺がそうだったらってだけの話です。気を悪くされた方がいましたらすみません。