忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

慣れは怖いよねって話、それと感謝

 

    一応初めてこの記事でこのブログを読む人もいるかもしれないので説明すると、俺は昨年春に事故に遭って右足に少しハンディキャップが残った。その関係で中々バイトが決まらず、とは言えやはり金は必要になるので試行錯誤した結果派遣をすることにした。派遣なら毎回違う派遣先に行けばたったの1回きりなら例え足にハンディキャップ持った人間だろうが仕方なく働かせてくれるし、給与は即金で手に入るのでなにかと都合がいい。

 

    そういう訳で最近派遣をちょこちょこやりながら過ごしている。初めのバイトは食品工場だった。主に米類を扱っていた。たしかに仕事は今の俺には少し体力的にキツいところもあったが、社員の方達が優しく俺のために座って作業できるように椅子を用意してくれた。さらに急がなくてもいいよ、なんて言ってくれる。なんていい人達なんだと思った。結局そこで2回働かせてもらった。向こうは俺のこと理解してくれてそれでも快く受け入れてくれるしほんとはそこで何回かお世話になりたかったんだけど、数日後にはそこが派遣の募集から消えていたので残念ながら行けなくなった。

 

    ということで、新しい派遣先に行ってきた。それが今日。ほんとは作業用に靴を持って行かなければならないが、右足が今も酷く腫れていて靴が履けないのでクロックスを持って行った。まあ事情を話せば理解してくれるだろうと少し甘い考えだった。そして職場に着き係の人に事情を話してクロックスを認めてくれないかと言うと、めちゃくちゃ怒られた。そんなんで仕事が出来るわけない、仕事をなめてんのか、つって。

    一応登録している派遣会社の募集で見たのは梱包の仕事だったはずなのに、実際行ってみれば物流の仕事で。あと持ち物に帽子なんて書かれてないのに帽子がいるらしくそれを忘れたことも怒られた。派遣先の募集の情報を見てハンディキャップを持った自分でも出来るかと判断して来てみれば書かれている情報と違った旨は伝えたが、係のおじさんはそんなのお構い無しに怒ってた。足引きずって歩くやつが物流の仕事に来るなんて舐めてるとしか思えない、物流どころかどんな仕事も無理だって耐えず俺に悪態をつく。

 

    病院にいた頃は当然患者なので看護師さんを筆頭にお手伝いさんとかいろんな人が優しくしてくれた。退院後も仲のいい友人達が本当に無事でよかったなんて言ってくれて優しくしてくれた。思えばここ一年半ほどずっと人に優しくしてもらえて、それが続くうちにそれが自分の中で当たり前になっていた。自分はハンディキャップを背負った人間だからみんなが優しくしてくれるもんなんだと思っていた。世間的にはそれは確かにマナーと化しているところがあるんだろう。電車で老人に席を譲るように。

    ただ、そういうシチュエーションで席を譲らない人間が少なからずいるように、今回俺が出会ったこの派遣先のおじさんのような人もいるんだろう。そういう人たちやおじさんのことを何も悪く言うつもりはない。優しくされることに慣れてそれを当たり前に感じていた俺の方にも非はある。

 

    何が言いたいかって、この一年半優しくしてもらうことに慣れてそれを当然だと思っていた俺は、みんなの配慮や優しさに対して少なからず感謝の意が欠けていたように思う。もちろん感謝はしている。ただみんなの振る舞いに対して俺の感謝の気持ちが釣り合ってなかったのかもしれない。そういう訳で、はてなブログから読んでいてくれている俺のことをあまり知らない人には少しプライベートな話になって申し訳ないが、友達それに家族、とにかくみんなほんとうにありがとう。これから少しずつもらった分を俺も返せていけたらなと思う。

 

    最近は本当にやさぐれていて、俺の人生は不幸だとか心にもないことを時々口走ってしまっている。しかしよく考えたら俺ほど幸せな人間はいない。こんなにいい人達に巡り会えたんだから。地球上にいる莫大な人間の中から天文学的な確率でみんなと知り合えたんだから、事故でハンディキャップを背負ったことを差し引いてもまだまだお釣りが来るくらい俺は幸せだ。でも多分、これからも時々悲観的になって思ってもないことを零すと思う。でもそれはやさぐれているだけだから、そんなときには、またなんか言ってるよあいつくらいの感覚で放っておいてやれ。そしてこれからも長い人生俺と関わらってくれたら幸いだ。みんな大好きだよ。ほんと、ありがとう。