忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

交わる処

 

    昔から川を見るのが好きだった。家でアクアリウムをしていた父の影響もあって泳ぐ魚たちを見てるのも好きだったけど、何より川と川の合流地点を見るのが好きだった。

    全ての川はやがて海へと繋がっていて、しかしそれまでに川と川が合流することがある。そんな川と川の合流地点は、別々だったものが既に1つになっているのか、はたまたまだ独立しているのか、或いは一緒になった部分と独立している部分がわずか数センチ単位で小さな範囲に混在しているのか。そんな交わり合う感じが不思議に感じられて好きだった。

    大きな川に合流する小さな川にもちゃんと名前があって、なのにそれが大きな川に合流するとその小さな川は大きな川の一部となって名前を変える。川の合流地点はなんだかパワースポットみたいだ。

 

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    大学の中を歩いていると、たくさんの人達がいる。その人達が交わす言葉が俺の耳に届く。

 

    「昨日サークルの後さあ…」

 

    「先週の飲み会で…」

 

    「次の授業の課題が…」

 

    様々な話題、言葉が飛び交う。隣から、携帯の通知音がする。一人で座って携帯を巧みに使う彼女はメール、LINE、もしくは何か違う別の媒体で電波に言葉を乗せて送っているのだろう。よく見ると、そういう人は彼女以外にもたくさんいる。

    だとすると、俺の周りには言葉を乗せた電波が目まぐるしく行き交ってるのだろう。それは目に見えないけれど。

 

    なんだか、川の合流地点と似たようなものを感じる。周囲で様々な思いを乗せた言葉が交わっているところがそう思わせる。

    俺の携帯も音を鳴らす。見れば友達からのメッセージ。素早く文字を打ち込み、返信を送る。電波に乗せて。

 

    ここが川の合流地点と似ているとすると、俺も1つの川なのかもしれない。そんな風に思えて、少し可笑しいような、同時に何か誇らしいような、これまで経験したことのないような不思議な気持ちになった。今のこの気持ちを上手く表現するには、どんな言葉が適切なんだろう。そんなことを思いながら次の授業へと向かう。

 

    道中、昔のクラスメイトをチラホラ見かけた。あんなに毎週顔を合わせたクラスのみんなは今やそれぞれ別の友達といたりして、なんだかそれが少し寂しかった。10いくつかの川が混じりあったクラスという1つの川も、今やもっと大きな大学という川に吸収されてしまったのだろうか。

 

    今、大学の敷地のちょうど真ん中を歩いている。たくさんの人がいる。こんなに大きいのに、これでもまだ「川」なんだもんな。まだ見たことがないけれど、海はもっと大きいのかと思うと、圧倒された。