忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

声でかいやつ嫌い

 

    タイトルの通りなんだけど、声でかいやつ嫌いなんだよな。嫌いな理由を述べます。

    まず、怒ったりする時に声を荒らげる人が苦手。と言うより怖い。感情的になってるのはわかる。そうさせたのは俺だから申し訳ないとは思うが、別にでかい声で言われなくとも反省もするし、ちゃんとわかる。俺はそこまで馬鹿じゃないから。

    それと学生時代、大して面白くないのに、ノリの良さと声のでかさだけでスクールカースト上位に位置づけてた野球部が嫌いだったのも理由の一つだと思う。今で言えば、飲みの席で面白くないのに声のでかさでその場の空気を支配して中心になれる奴。まあこんなのは中心になれない人間の僻みも含まれるんだけど。

    とにかく声がでかい奴が嫌い。

 

    声がでかいと言えば、少数派は声がでかい。まあ声がでかくなる道理もわかる。多数派ならば、声を大きくせずとも唱える人数の母数が違うのだから、声をでかくする必要がない。少数派は多数派に対抗するために、或いは声を届けるために、唱える人間の母数を一人一人が声をでかくすることでカバーする他ない。

    この方程式に当てはめると、様々な意見に別れるテーマは少数派が乱立するので、そういうテーマの話をすると全員声がでかくなる。そう、政治とかに関する話です。俺は政治に関する話が嫌いです。

 

    人間誰しも一つや二つはきっと譲れないものがあって、それが個人の暮らしや人生に関わる話となると尚更譲れなくなる。そう、政治とかに関する話です。

    政治という言葉で一括りにしてるだけで、実際は昨今の社会情勢とか国際関係とか歴史とか全てを包括した話でもあるんだけれど。やれ偏向報道やら、LGBTQやら、税金だとか、戦争だとか、陰謀論やら。とにかくそういうやつ。

 

    週末働いてるスナックに半年くらいに1度訪れてから、気に入ってくれて毎週金曜にやってくるTさんってお客さんがいる。その人はいいお客さんなんで、俺も割と好きなんだけど、政治関連の話になると突然声をでかくする。

「日本はアメリカの植民地だ!!」

 「コロナはメディアの嘘だ!!」

ユダヤがどーだこーだ!!」

 ユダヤに関する発言はあまりに聞き流してなくて覚えてないけど。とにかくそういう話をする時のTさんはあまり好きになれない。

 

    声をでかくするって、先にも書いた通り、自分の声を届かせるためだと思うんです俺は。でも別に、無理に声をでかくせずとも、聞きたい人、或いはそれに関しては興味がある人は聞こえるとかろまで自ずと近づいてきてくれるんじゃないだろうか。それをわざわざ声をでかくしてまで、遠くにいる人まで聞かせようとするのはエゴスティックな気がしてしまう。“俺は正しい”“正しいからわかってない奴らに教えてやらねばならない”みたいな傲慢を感じてしまう。そんなエゴイズムが嫌い。

 

    声のでかさに、主張を通しきる精神、自分優先主義めいたものを感じてしまうから、俺は声がでかい奴が嫌い。聞かれたときだけ言えばいいのに。もしくはこんな風にブログでたまたま見てくれる人がやって来るような場所でやればいいのに。街頭演説とかやってる人も、ひっそりとブログやればいいのに。賛同者が多ければブログが伸びて、多分街頭演説するより効果あるだろうしね。

 

    余談だけど俺は人と話してない期間が少しあると、第一声の声のボリュームをミスして声がでかくなる時がある。たまたまあった友人に声かけられたとき、「久しぶり!」と返したら、「声でか」と真顔で言われたあの日のこと、多分走馬灯に出るくらい覚えてる。