忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

ビーフシチューと人生の話

 

 

    突然ですが想像してください。とある休日の昼下がり、普段あまり自炊をしないあなたは唐突に美味しいビーフシチューを作って食べようと思い立ちました。ネットで美味しそうなビーフシチューのレシピを調べて、必要な食材を買おうと近くのスーパーへと向かいます。最高のビーフシチューを作るため、食材の善し悪しを見る知識もきちんと頭に入れてきました。

    冷房の効いたスーパーの中をカートを押しながら、食材を丁寧に吟味して1つずつカゴへと入れていきます。ふと、ビーフシチューにはバゲットだよな、と思い立ったあなたはパン売り場のコーナーへと足を伸ばします。パン売り場でバゲットを見つけて、手にとり、これくらいあれば充分だろうと考えますが、同時に、うんと美味しいビーフシチューを作るのならバゲットもいいものにしたいなと思いました。バゲットはパン屋で買うことにして、手に取ったバゲットをそっと元の場所へと戻します。

    会計を済ませて、スーパーを出た後、パン屋へと向かいます。閑静な住宅街の中にある、小さなパン屋は、近所でも評判でした。あなたはそこでバゲットを無事買うことができました。家に帰って調理に取りかかるのが楽しみで仕方ありません。足取りも軽くなります。

    家に着いたあなたは、さっそく調理に取り掛かります。窓の外が暗くなった頃には最高のビーフシチューを味わっている自分の姿を思い浮かべるとワクワクが止まりません。その為には、少しのミスも許されないので、慎重に調理に取り掛かります。レシピに記載されているグラム数は正確に。大さじや小さじといった表記も、いつもなら大体これぐらいだろうと感覚に頼りますが、今日はきっちりと測ります。1つ1つの手順を丁寧にこなして、あとは煮込むだけとなりました。火を弱火にして、蓋をしてタイマーをセット。タイマーが鳴った時、ようやく完成です。

    ミスは許されないという緊張感が抜けて、肩の力が抜けました。煮込み時間は20分程度。リビングのソファに座り込んで、お気に入りの音楽をかけます。窓からはオレンジ色の光が射し込んできて、暗い室内を優しく包みます。キッチンからはビーフシチューの芳醇な香りが微かに漂ってきて、とても心地の良い空間です。1度大きく息を吐いて、ソファの上で横になったあなたは、キッチンタイマーが鳴るその時を楽しみで仕方ありません。

 

 

 

    ピンポーン    ピンポーン

 

    想定外の間の抜けた機械音でハッと気がついたあなた。もう1度、ピンポーン、と音がしてそれがインタホーンの音だとわかり慌てて玄関へ向かって扉を開けます。すると宅配業者の男性が立っていて、ここに判子をお願いします、と一言。1度、判子を取りに部屋戻る時、何かが少し焦げたような匂いがしました。荷物を受け取って、すぐにキッチンに戻ってビーフシチューを確認しますが、残念ながら僅かに焦げていました。

 

    さてここで問題です。この時あなたはどうしますか?

 

    最後の最後で気を抜いて失敗してしまったことを反省しながら、次は上手くやるぞと意気込んで少し焦がしてしまったビーフシチューを食べますか?

 

    それとも、なにくそ!と思ってまた1から作り直しますか?

 

    俺は、全部捨てます。ビーフシチューはもちろん、余った食材も、手つかずのバゲットも。調理に使用した器具まで捨てたいくらいです。

 

    前置きが非常に長くなりましたが、この時俺がどうしてそんな行動をとるかについて書きます。

 

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    まず、上記のシチュエーションの「あなた」を「俺」に置き換えて話を進めます。

 

    俺は美味しいビーフシチューを作ろうと思い立った時、美味しいビーフシチューを作ってそれを味わう数時間後の自分を目標と定めます。その為に、レシピを調べている時、食材の目利きの知識も入れてスーパーで食材を1つずつ丁寧に吟味している時、バゲットをスーパーで買うのでなくわざわざパン屋まで赴いて購入を決めた時、家に帰ってレシピ通り正確に調理をしている時、そのどれもが俺にとっては充実した時間となります。自分が定めた目標に向かって、各手順を正確且つ確実に遂行していると、自分が最初に定めた目標が更に洗練されている感じがして、目標を達成した時の達成感や満足度を想像するとワクワクが止まらないのです。

 

    早い話、俺は完璧主義者です。なので、どこかの行程でミスした瞬間に全てがどうでもよくなります。そこから修正して、、完璧ではないもののなるべく完璧なものにするなんていう発想はありません。自分が思い描いた目標とそこに至るまでの過程に1ミリのズレが生じた瞬間に俺にとっては意味がありません。

 

    余った食材を別の料理で使ったり、手つかずのバゲットを単体で美味しく食べれることくらいは俺にだってわかっています。実際、別の用途にも使えるのにそれを捨てるなんて勿体ないことでしかありません。ただ俺にとっては食材もバゲットも、完璧なビーフシチューのためだけのものでしかないので、最後の最後でビーフシチューを少し焦がしてしまった時点で、なんの意味も持たないモノになります。

 

    以前、ビーフシチューではありませんが、別の料理を作ろうと思い立ったた時、途中で失敗してしまい、途端にやる気がなくなって全てを投げ出したことがあります。その時は余った食材を勿体ないので、また次何か料理する時に使おうととっておきました。その数日後、昼食を作ろうとしました。調理の準備をしながら、その時も俺は完璧に作り上げた料理を味わう少し先の自分を想像してワクワクしていました。1つずつの手順を思い描いた通りに完璧にこなしていき、気分が高揚していたのに、前回の料理で失敗した際にとっておいた余った食材を使うので冷蔵庫から取り出そうとした時、目に入ったその食材から前回の失敗の経験が思い起こされて途端に気が滅入りました。

    俺が余った食材やバゲットを捨ててしまうのは、またそれが目に付いた時に以前の失敗の経験を思い出してしまうのが嫌だからです。せっかく切り替えて前に進もうとしているのに、以前の挫折が脳裏にチラついて別のことにまで影響されるのが嫌だから、捨てます。俺にとってはそれが、失敗をリセットして前に進むための手段だからです。

 

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    俺がどれほどに完璧主義者で妥協を許せない人間か、少しお分かりいただけたと思います。完璧主義者であることは、上記のビーフシチューの話だけに関わらず、俺の人生にも大きく関わります。

 

    小さい頃、ふと自分の将来の理想像を思い描きました。それは、25歳くらいには素敵な人と出会い、結婚して、子宝にも恵まれ、仕事は大変だし毎日忙しいけれど、それでも毎日が充実していて幸せというものでした。

 

   さて、問題は俺が次の誕生日で25歳になるということです。いや、それが直接の問題ではありません。本当の問題は、次の誕生日で25歳になる今の自分が、結婚もしていなければ、未だに学生で働いてないということです。

 

   ビーフシチューの話になぞらえて言えば、今の俺は、最後に少し焦がしてしまったどころか、食材も悪ければ調理の全肯定でミスしているようなものです。

 

    毎日が苦しいです。日毎に生き辛さが増しています。思い描いた理想の姿と僅かどころか大きくズレています。

 

    これがビーフシチューならもっと早い段階から投げ出してやめてしまっているはずですが、これはビーフシチューではなく人生の話です。ビーフシチューは投げ出しても、また別の機会に挑戦することは可能ですが、人生はそうではありません。来世があって人に生まれることができるよと保証されているなら、すぐに投げ出して、また1から挑戦しますが、そんなものは夢見話でしかありません。

 

    今はただ、全ての失敗が上手く噛み合って奇跡的に美味しいビーフシチューができるような展開を願うばかりです。その時のために、俺はいろいろ失敗したけど結果的にはいい未来を迎えられたからOKと言えるように、少し焦げてしまったビーフシチューを食べる練習をしておこうと思います。

 

    完璧主義者だったり理想家ほど、損なことはない気がします。妥協とか、なんとか修正しようとするバイタリティを持てるほうが、人生もビーフシチューも上手くいくんじゃないでしょうかという話ですこれは。俺が言えたことではありませんが。それでは。