忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

いけるっす、いかせてください!

 

 二年ほど前からなにか違和感めいたものを抱えながら生活している。その違和感はどうも上手く言いようがない。虚無感でもないし、空虚とも違えば、かと言って憂鬱ってわけでもない(基本的には気が沈みやすく憂鬱寄りなのでそれよりさらに憂鬱ってほどではないという意味で)。強いて言うならば、遅くまで飲んだ次の日の朝、ポケットに入れてたはずのタバコがない時のような、どうせ吸うからまた買えばいいのになんだか腑に落ちなくて気になってしまう感覚と似ている。とにかく”違和感めいたもの”としか表現できずにいたが、昨日やっとその気持ちの正体を突き止めることができた。それは昨日二ヶ月ぶりにカウンセリングを受けたからだ。

 

 カウンセリングはいつもだいたい近況報告から始まる。そしてその時の自分の感じたこと思ったことなどの心の動きを話す。この自分の思考や感情を言語化して伝えることが結構大事で、いろんな気づきを得られる。人間、自分のことは自分が一番わかってると言うのは一理あるが、実際は人が誰かのことを分かるはずがないんだから、自分のことを分かることができるのは自分だけだろってこと。加えて、人には自分でさえ知覚し得ない自己の心理や思考が内在していたりする。それを明らかにするために言語化を行う。取り留めなくとにかく自分の思考や心理を言語化することで、客観的に自分のことを見て得られる気づきがある。まさに昨日の俺がそうだったように。

 

 ここ最近の俺は精神状態の起伏がとにかくなかった。それは安定しているようにも聞こえるが、俺の場合常に低いところで真っ直ぐな線を描いてるので、別に幸福感があるようなそれではない。毎日毎日決まったことを淡々とこなすだけの日々。つまり刺激がない。久しい友達と会って酒を飲むなどといった瞬間的に楽しく感じる時はあるけれど、あるだけでしかない。一度、解散して帰路につけば、ジェットコースターのように気持ちが冷めていく。明日も学校(はたまたバイト)か、などと憂鬱な気持ちで頭がいっぱいになる。なんの目標もなければ充実感も伴わない、ただ無心で消費するだけの一日。「よし!明日はあれをするぞ!」みたいな前向きな気持ちは一切ない。だから、継続的な幸福感や充実感を求めずにはいられない。

 そんな日々が続いて気付けば三年の月日が経とうとしている。同い年の友人は今日も立派に働いているし、中には子育てに奮闘しているやつだっているんだから、本当にみんなすごい。俺は俺なりに事情はあったつもりだけど、それを理由に怠惰に過ごしていた面もあって、未だに学生をやっている。

 一般的には大学や専門学校を卒業して就職する人口の割合が最も多い。俺の場合は大学生なので本来の卒業からすでに三年ほど長く大学生を継続していることになる。これは非常に息苦しい。俺が花ならそろそろ芽がでるかなといった頃合いに、道路工事で上からコンクリートで固められてしまうようなもの。あと少しのところで日の目を浴びれそうだったのに、それが無念に終わる。昔、ど根性大根と言うアスファルト突き破る大根を見たことがあるが、残念ながらそんな根性は俺に備わっていない。ちなみに、俺の場合は不可抗力で日の目を浴びれずにいるんじゃなくて、ただ怠惰なだけだろという意見は一切受け付けない。何も言わないでください。あとできれば優しくしてください。

 

 小学二年生くらいにポケモンにハマっていた。手持ちのパーティーには必ずジグザグマを入れていた。ジグザグマは本当に便利なやつで最初の草むらで容易にゲットできるにも関わらず、ストーリーの進行に必要なひでんわざを4つも覚えることできる。「いあいぎり」「かいりき」「いわくだき」に並んでなんと「なみのり」まで覚える。

一体どこになみにのれる要素があるんだ

 今になって思えばジグザグマはきっとあんなひでん要員として使われるなんて思ってなかったに違いない。先頭で奮闘するアチャモを見て「よし俺だってやってやるんだ」とやる気に満ちていたはずだ。しかし待てど暮らせど自分が場に出てバトルをすることなく、いつの間にかひっかいていただけのアチャモは口からひのこを吐いている。そんな折に、飼い主(俺)に告げられた「いあいぎり覚えて」。ジグザグマはきっと喜んだ。自分と同じくらいのレベルで同じ時期にパーティーに参加し、共に日の目を浴びることはなかったポチエナと明確に差がついたのだから。ジグザグマは嬉々とし木をいあいぎり続けた。

 そしてしばらくして、アチャモがいつの間にかワカシャモになった頃。今度は「いわくだき覚えて」。ジグザグマはもちろん覚えはしたけれど、本当にこれでいいのかと頭を抱えた(多分ギリギリ頭に届いてないだろうけど)。最初はそう変わらなかったレベルもすでにパーティーの他のモンスターたちと大きく差がついている。一度もバトルで活躍することなく一番後ろで飼い主(俺)のゆく道はばむ障害物をどかすだけの毎日。ついには「かいりき」や「なみのり」を覚えるために鳴くことも尻尾を振ることすら許されなくなった。マッスグマに進化することすら叶わず、今や自分でできることは物を拾って来るだけ。それでもたまにいいアイテムを拾った時に飼い主(俺)に褒められて嬉しくはなるも、その後は喜んでしまった自分が本当に惨めに思えて悔しかった。これならいっそ野生で暮らしていた方がマシだったと思っていると、気付けばどこからか拾ってきたキズぐすりを咥えている。「せめて拾うならいいキズぐすりくらい持ってこいよ!」と言い、乱暴に咥えていたキズぐすりをぶん取る飼い主(俺)。心に使えるキズぐすりがあればいいのにな・・・。そう思いながらジグザグマは今日も枕を濡らす。

 

 じゃなくて。いやなんか幼い俺がしたこととは言えジグザグマに本当に申し訳ないけど、ジグザグマの話がしたいんじゃなくて。きっと日の目を浴びたいジグザグマが夢(マッスグマになること)や希望(バトルで活躍すること)に満ちていた頃は、常に「僕いけますよ、いかせてください」と思っていたに違いない。俺も結構前からもう「俺いけるっすよ、いかせてください(社会に)」みたいな状態なのに、まだいかせてもらえないんです。いけないんです。ジグザグマで言うならもう二つめのジムリーダー戦くらいの頃だ。「もう俺だけ出さないノリも流石に長いですよ飼い主〜(笑)」の頃だ。笑って冗談ぽく言うが、実のところあまりのノリの長さ(この頃はまだそういうノリだと思えている)に僅かながらストレスを感じている。

 

 俺の飼い主(父親)が大学だけは卒業しろというのに対して、未だ卒業していない俺が悪いんだけど、そろそろ追いつくことも叶わないようなレベルの差が周りとつきそうな焦りが俺の気持ちだけを前に前にやってしまうのだからしょうがない。一旦全て自己責任だろということわ棚に上げて包み隠さず言わせてもらう。

 

 もう飽きたこの生活!!!!!

 

 辟易している。違和感めいたものの正体は辟易とした気持ち。新しいステージに行きたくて仕方がない。学生から社会人へと進化したくて仕方がない。だって単純に大学生活が苦しい。常に一人。オールウェイズアローン。「さっきの講義の小テスト難しくなかった?」とか話してこその学校生活であるべきなのに。なんなら留年生であることがバレてグループワークなどで気まずくならないように下手なことを言わないように気をつけなければないという人狼ゲームめいたことを常に強いられている。一言で言えば苦行。もうなんかなんのオチもつけれそうにないし、違和感めいたものの正体も明らかにしたのでここで終わりにしようと思うんですけど、今年一年でとりあえず卒業するために頑張っている最中なので、優しい人は応援してください。そんで、来年以降はこのブログで就活の話とか仕事の話が書ければいいな。マッスグマにさせてやれなかったジグザグマの分まで頑張るよ俺。