オワオワリ
自分は割と物事を客観的に考えられるほうだと思う。自分の肉体から心だけ切り離して後ろにやるようなイメージを心がける。すると、まるで自分のことが他人に思える。なので、思わず感情的になってしまいそうなことに自分が巻き込まれても、「あーまたなんか俺の体面倒くさそうなことに巻き込まれてるよ、まあ俺には関係ないからいいけど」なんて具合に大抵のことには寛容になれる。
自分のことも他人のように思えるということはつまり客観視ができているということだと思う。肉体と精神を切り離して生きる習慣を続けていると、最近では自分の精神状態に対して敏感になった気がする。多分、人間は自己の精神状態を知覚するのが下手だ。気疲れよりも肉体の疲労のほうがわかりやすいから、多少精神が参っていても先に肉体の疲れを感じてしまう。診断されるまで自分がうつ病だなんて思わなかったという人が多いように。
うつ病と言えば、うつ病と診断されて週に一度ほどカウンセリングを通うようになってから、カウンセラーにとにかく休んでくださいとよく言われる。うつ病とは心のエネルギーの低下状態が慢性的なことらしい。俺は寝る時間も惜しむくらいに常に何か行動してることが多いので、休んでくださいと言われるのも当然と言えば当然だ。
心のエネルギーが低下状態で何かに取りかかってもいい結果は残せないし、そのことに対して自己否定して、更に心のエネルギーをすり減らす悪循環に陥ってしまう。まさに自分がその中で長い間もがき苦しんでいることに気がついてから休息と無理しないことを心がけるようにした。
繰り返すが俺は客観視が少し上手い。だから、以前なら多少無理して頑張っているような局面でも、最近では「いや俺疲れてるし休もう」と思うことが割とできる。長い目で見た時に、自分の体に鞭打ってなにかし続けるよりも、充分に休息をとった万全な状態でサクッと結果だけ残すほうが圧倒的に効率がいいし。
最近は朝起きた瞬間にまず自分の状態をチェックして、それでもまだ疲れがとれていないようなら、「よし今日は休む!」とするようにしている。
ところがここからが問題だ。どれほど休んでも体が休まってくれない。それどころか、眠気はあるのにいくら寝ようとしても体が寝てくれない。長い間肉体と心を切り離して生きてきたせいで、肉体だけが独立してしまった。体が心の支配下にない。肉体が休まってくれないと、心も休まらない。無理はしていないからこれ以上の疲労を抱えることはないが、しかし休まることもない。
休んでも疲れがとれないなら休む意味ないじゃん。そう思って、以前今まで通りの休息なしの生活に戻ってみたことがある。結果はさらに疲れた。メンタルクリニックで入院させられかけた。やはり無理はいけないらしい。
そういった次第で、ここ最近は休まることもないけど疲れることもない、特に何もしてない暮らしを続けている。肉体の疲労も以前なくなりはしないが、動き続けている状態に比べてはマシなので、そういう意味では休まっているのかもしれない。
しかしだ。何もしてない暮らしというのは、休まってるわけでもないのに休憩至上主義に託けた、すべき事を放棄しているだけの状態だ。休まりも疲れもしない暮らしの中で、常々「やらなきゃいけないことあるのになあ」と感じている。そう思いながらも、無理をしてはいけないし、かといって休まってもないので、じゃあどうすればいいんだと苦悩している。なんならその苦悩のせいで心にジワジワとダメージが蓄積されている。俗っぽい言葉で言うと、何もしてない暮らしは終わりの暮らしだ。
単純な疑問なんだけど、終わりに終わりは訪れるのだろうか。新たな始まりを求めるしかないのだろうか。でもまた新たな終わりが始まったらどうしよう。でもこのままだと終わり続けていくだけだし。何言ってるんだろ俺。わけわからんくなってきた。もうこの話終わり!