忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

欲張り人間

 

    子供の頃、家族とどこか遠くへ向かっている道中に寄った高速道路のSAのお土産コーナーにカッコイイキーホルダーが売られていた。長い鞘に刀身が収まりその周りを龍がとぐろを巻いているキラキラのもの。男の子なら一度は誰もが欲しがったもの。

    それを見た当時の俺は買ってくれ買ってくれと駄々をこねた。長く続いた親との我慢比べに競り勝った俺は、遂にそれを手にすることが出来た。

 

    そんなことをふと思い出す。思えば俺は小さい頃から諦めるという選択肢はなかった。欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れてきた。だからか、随分欲張りな人格になってしまったと時々思う時がある。そんなことを思い出したのも、まさに今自分が欲張りな人間だなあと思っていたからだ。

 

    誰もが常に何かしら1つくらいは欲しいものがあるのではないだろうか。お金で買えるものから買えないものまで。その中でも特に、お金で買えないものほど人は喉から手が欲しくなる気がする。

    お金で買えるものでも途方もない値段がすると、これは自分が一生の稼ぎを費やしても手に入れられないと知ると簡単に諦めはつく。しかしお金で買えないもの。例えば人の心だとか。そういうものは、自分の振る舞い次第では手に入るかもしれないという淡い期待が残ってしまって簡単に諦められなくなる。

 

    欲しいものを全て手に入れるということは大人になるにつれて不可能なことなんだとわかっていく。欲しいものが手に入らなかったという経験を幾度となく繰り返して。欲しいものを諦めるというのは、大人になることのひとつだ。

    俺も来年にはアラサーの仲間入りで、小学生の子達から見れば教壇に立つ先生と変わらぬ大人だ。大人だから欲しいもののいくつかは諦めてきた。

 

    嘘だ。やはり幼少期から欲しいものはなんでも諦めてこなかったから、諦めたフリをしているだけでしかない。大人なのは事実だから、大人になって尚欲しいもの全てを諦めないのは格好が悪いから諦めたフリをしているだけで、実の所何一つ諦めていない。

 

    欲しいということを諦めていないだけで、まだ手に入ってはないし、手に入る未来も見えないので、その所為で多少苦しんではいるが。

    欲しい服、欲しい漫画、欲しい人の心、欲しい暮らし、欲しい幸せ。何一つ諦めてなんかいない。俺は諦めるということを諦めない。そんな欲張り人間だ。反省する気すらない。俺はこのままで生きていく。