忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

見せないままでいいじゃないか

 

    人間誰しも見られたくない一面とか見せたくない一面がある訳じゃないですか。あるでしょ?俺にだってある。

 

    俺の友達の大体は明るくて気さくな奴が多いんだけど、そんなんだからきっと結構異性にモテるんですよね。だから友達と飲んでたりすると「この間ヤッた女が〜」だとか「ナンパした女が〜」みたいな具合の話題が多いわけ。俺はそれをお前らほんといつまで経ってもバカだなみたいな顔して、如何にも俺はそういう時期も過ぎて今は丸くなりましたみたいに聞いてるんだけど、本当の所は別に俺は気さくでもないし面白くもないので異性にモテない。

    だから、俺が大学1回の頃の彼女と初めて性行為に及んだ夜にゴムの付け方がわからなくて焦ってた俺、結局勃たなくて彼女と気まずくなった時の俺、その次の日彼女の姉に「昨日勃たなかったんだって?そんな時もあるって!どんまい」って言われて恥ずかしさと気まずさで複雑な顔で苦笑いして「疲れてたんですかね」とか言ってた俺を友達には見られたくない訳です。

 

    そういう見られたくない一面が誰しもにある。例え家族だろうと見られたくない一面はあるし、寧ろ家族だからこそ見られたくない一面もある。

 

    兄弟や姉妹がいる人ならわかってくれると思うんだけど、交際相手の前でいる自分の兄弟姉妹は見たくなくないですか?俺は見たくないです。

    父親が若い女と話してて鼻の下を伸ばすところ、飲食店の若い店員に女の顔をチラつかせる母親、交際相手と性行為に励む自分の兄弟姉妹。想像してみてください。地獄です。

 

    話は少し変わって昨日の夜。我が家のWiFiはまさに「ないよりはマシ」って言葉がピッタリな程ポンコツで、2階の俺の自室だと急に回線が切れたりすることがあるので、我が家に置いて唯一の快適にWiFiが使えるリビングへと俺は下りた。

    イヤホンをして音楽を聴きながらリビングへと入ると、そこには背を向けて俺と同じくイヤホンをしてくつろぐ弟がいた。特にそれに気を留めず俺はYouTubeで好きなアイドルのMVを見たり、アップデートされたゲームなどをして1時間ほど過ごした。

    そろそろ自室に戻るかと思ってイヤホンを外すと、どうやら弟は誰かと電話をしていたようだ。相変わらず俺がいることには気付いていない。今更わざわざおやすみなんて言葉をかけるほどでもないので黙って戻ろうとリビングのドアに手をかけた時、それは聞こえてきた。

 

    「もう寝るのぉ…?…ハッ…。そっかぁ…。…じゃあ早く寝てぇ…ハッ…。おやすみぃ…ハッ…。」

 

    昔ツイキャスが全盛期の頃に聴いたことがあるような、えげつないくらい吐息を織り交ぜて話すキャス主みたいな話し方は、紛れもなく弟の声だった。

 

    そう言えば父親から聞いたことがある。どうやら今あいつは彼女という存在がいるらしく、ということは恐らく通話相手は彼女なんだろう。

 

    その声や話し方がもう本当にすこぶる気持ち悪かった。そんな弟を見たのは初めてだったし、出来ることなら見たくなかった。いっそのこと俺がいることに気付いてくれて「初見さんいらっしゃい」なんて言ってくれたら俺も笑えたしどれだけマシだったろうか。そんな出来事が昨日の夜あった。

 

    家族相手でも、むしろ家族だからこそ見せたくない見られたくない(同様に見たくもない)一面がある訳だから、ましてやそれが友人相手となるともっとあるだろう。

 

    たまに「お前にだからこんな一面を見せられるけど〜」なんて話し始めで自分の新たな一面を出してくる人がいるけれど、別に無理しなくたっていいんです。自分の全てをさらけ出さなくたって人との関係性なんて十分に深まるし、対人関係なんて、ごめんって言って謝る心といいよって言って許せる心があれば何度だってやり直しがきく。そういうやり取りを何度も踏まえて関係性は深くなっていくものなんだろうなって俺は思います。

 

    だから本当に、見せたくない一面や見られたくない一面があるならわざわざ見せてくれなくたっていい。ずっと見せないままでいい。そんな事しなくたって、これを読んでる君が誰かは俺は分からないけれど、俺と君は十分に仲がいいよ。そういう話。それでは。

家族ごっこ

 

    f:id:matsuikotaro:20200211145518j:image

    昔こんなドラマあったよね。櫻井翔が「東大合格率100%」の家庭教師で、ある家庭に雇われる。その家庭はそれぞれが問題を抱えており、その家庭を一度めちゃくちゃにするが、最後には再構築されたその家族は以前より強固な絆を築くってやつ。

    これとは違うけど、うっすらとこれに関連するような、そんな話です、今回は。

 

ーーーーーーーーーー

 

    今でこそ自分の家庭環境を不幸とは思わないしそれなりに満足していたりはするんだけれど、「世間一般的に」というフィルターを介して見れば俺が過ごしてきた家庭環境は良いか悪いかで言えば後者に寄っている。

 

    3歳の頃に両親が離婚した。後になって理由を聞いたけれど、双方にそれぞれ問題があるなと思った。母親は俺と弟の親権を拒否し、反対に父親はそれを望んだ。(関係ないけど親権なんて拒否したり譲渡できたりするものなのだろうか。親からすれば子はどこまでいっても子であるのと同様に、子からすれば親もいつまでも親であることに変わりはないのに。)

    そうすれば後は自然に父親側に引き取られたが、当然父親には仕事がある。金銭面での養育は可能ではあるが、それ以外には手が届かないし当時の俺は3歳で弟に至っては生後間もない。自立なんて無理な話だ。結果俺と弟は父親の実家で父方の祖母と叔母に面倒を見てもらうことになる。

 

    中学入学を目前にして父親は再婚する。子供ができたから。俗に言うデキ婚だ。当時、神妙な面持ちをした父親に新しいお母さんを受け入れてくれるか(結婚してもいいか)と聞かれて俺は同意したが、あの時拒否していたらどうなっていたんだろう。そもそも拒否したところでそれが認められたのだろうか。

 

    しかしその再婚も長くは続かなかった。ある日再婚相手の母が父との間にできた子供(俺の腹違いの弟)を連れて出ていった。元々精神的に少し問題を抱えていた人で、当時の俺は反抗期とか遊び盛りだったのが重なってよく再婚相手の母を疲弊させていた。

    言うなれば俺のせいで離婚したようなものではあるが、そもそも先に父親が俺と弟に負担を与えていたんだからこれでおあいこみたいなもんだろと全く罪悪感はなかった。或いは罪悪感を感じたくないためにそう思おうとしていたのかもしれない。なんの関係もない巻き込まれた腹違いの弟には今でも申し訳なく思うが。一生俺と親を恨み続けてくれ。

 

    まあそういう家庭環境だったので、俺には母親という存在がこれまでの人生に殆どなかった。法律上の関係上、実の母と月に一度面会していたが、別にあの人に母親を感じたことはないし。

    そう言えば3年くらい前に、家に飯が用意されてなかったので父親に腹減ったからなんか食わしてくれって連絡したら、知らんスナックに連れてかれて、そこのママ(もちろん知らない)のカレー食わされたことあった。「母親の味」とかよく言うけれど、それって一体なんなんですか。本当に。

 

    父親とは仲が良い。それもかなり。そりゃ時折衝突もするけれど。基本的には仲が良い。だって普通の家庭の人なら親と過ごす時間の全ては母親と父親の「2」で割られるけど、なんせ俺は「1」だから。一般家庭の皆様の父親との親密度が、俺の場合それが倍な訳だ。

 

    父親のことはなんだかんだ好きだ。尊敬できる部分もある。でも1つだけ嫌いなところがある。それはやたらに「仲良い家族」を演出してくるところだ。

    実際俺と弟と父親の3人家庭は仲が良い。でもそれを強調してくるのは正直いただけない。父親とすれば俺と弟に自分のせいで負担を与えたという罪悪感があるのかもしれないが、それを補うかのように「母親がいない家庭でも俺たち家族は幸せ!」みたいな雰囲気を構築するのは、父親のエゴや自己満足、或いは保身に付き合わされているようで吐き気がする。

 

    別にそんなことしなくていいじゃないか。ねえ、お父さん。俺と弟はそれなりに幸せだと思ってるよ。そんなことしなくてもありのままで良い家庭だろ、俺たち。お父さんが頑張ってきたの1番近くで見てたのは間違いなく俺と弟だよ。充分頑張ってたじゃないか。もうやめなよ。やめようよ。こんな家族ごっこはさ。

 

ーーーーーーーーーー

 

    みんなにもそれぞれなにか「ごっこめいたもの」あるんじゃないでしょうか。家族ごっこ友達ごっこ、はたまた人間ごっこ?知らないけれど。何かしら1つは誰しもにあるものなんだろうと。そんな気がしているよ俺は。これを読んでそれに気づいたり、そこから逸脱してみようと思うきっかけになれば幸いです。それでは。    

 

    

どうせ悪い終わりを迎えるくらいなら

 

    今日同じバイト先の友達がバイト終わり早く終わったら飲みに行こうぜなんて誘ってくれて、ほんとにお互いバイトが早く終わったもんだから誘える人誘って飲みに行って、今帰り道なんですよ。

    ほろ酔いなんで誤字脱字とかあったら申し訳ない。きっと文章もろくでもないもんなんだろう。

 

    その友達は、俺の数多くいる友人の中でもかなり仲がいい友人で、何が言いたいかってつまるところ楽しかったんですよ。誘いを受けて来てくれた人もかなり心開いてる人だったので、変に頑張って喋りすぎずにいられるというか、自然体のまま飲めて、突然喋り出したり黙ったりできるので本当に楽しかった。

 

    仲が良い人とお酒を飲むって言うのは、未成年の人にはわからないかもしれないけど本当に楽しいことで。まだまだ俺は21歳の若輩者かもしれないけど、そんな若輩者にも仕方なく続けてる人付き合いみたいなものがあって。そういう人たちと飲むお酒は本当に美味しくないし、楽しくない。

 

    楽しくて美味しく飲める酒の席なんてのは俺の年齢でもあまり多くはないし、だからこそ楽しく飲めた酒の席の帰り道は身体中を血流に乗って巡るアルコールのせいもあるけれど、本当に気分がいい。

 

    そしてそういう時に俺は死にたくなってしまう。なんでかってどうせ悪い死に方するくらいなら、今この幸せに満たされたまま死んでしまったほうがそれが一番いい終わり方なんじゃないだろうかって思ってしまうから。

 

    小さい頃から「死」というものに非常に関心が強くて、もしかしたらみんなも一度は誰に言われずとも「死」について深く考えたことはあるんじゃないでしょうか。本を読んだり、映画を見ながらどんなエンディングが待っているんだろうと想像してしまうように。

 

    人間誰しも永遠には生きられないし、いつかは終わりがあるから、だからこそその終わりや終焉について考えてしまうことはあると思うんです。

    どうせならいいエンディングを迎えたくはないですか?病に見舞われて、薬の副作用に苦しみながら死ぬのは嫌じゃないですか?俺は嫌です。

 

    だったら幸せなまま死にたい。ならばそれは今なのではないのだろうか。そういう思考の流れで幸せな時こそ死にたくなってしまうんです。決して、いいこと何も無いしどうせこの先もないなら今死にたいなんて、そういうマイナス的な意味で死にたいなんて言ってるわけじゃない。幸せだからこそ死にたいって話です。

 

    あれ。言いたいこと全部言ってしまった。どうやってこの話を閉めたらいいのかわからない。あれです、あの、みんなもいつかは死んでしまう以上、理想の死に方、いい死に方を考えてみてはいいのではないのでしょうか。それでは。

交わる処

 

    昔から川を見るのが好きだった。家でアクアリウムをしていた父の影響もあって泳ぐ魚たちを見てるのも好きだったけど、何より川と川の合流地点を見るのが好きだった。

    全ての川はやがて海へと繋がっていて、しかしそれまでに川と川が合流することがある。そんな川と川の合流地点は、別々だったものが既に1つになっているのか、はたまたまだ独立しているのか、或いは一緒になった部分と独立している部分がわずか数センチ単位で小さな範囲に混在しているのか。そんな交わり合う感じが不思議に感じられて好きだった。

    大きな川に合流する小さな川にもちゃんと名前があって、なのにそれが大きな川に合流するとその小さな川は大きな川の一部となって名前を変える。川の合流地点はなんだかパワースポットみたいだ。

 

ーーーーーーー

 

    大学の中を歩いていると、たくさんの人達がいる。その人達が交わす言葉が俺の耳に届く。

 

    「昨日サークルの後さあ…」

 

    「先週の飲み会で…」

 

    「次の授業の課題が…」

 

    様々な話題、言葉が飛び交う。隣から、携帯の通知音がする。一人で座って携帯を巧みに使う彼女はメール、LINE、もしくは何か違う別の媒体で電波に言葉を乗せて送っているのだろう。よく見ると、そういう人は彼女以外にもたくさんいる。

    だとすると、俺の周りには言葉を乗せた電波が目まぐるしく行き交ってるのだろう。それは目に見えないけれど。

 

    なんだか、川の合流地点と似たようなものを感じる。周囲で様々な思いを乗せた言葉が交わっているところがそう思わせる。

    俺の携帯も音を鳴らす。見れば友達からのメッセージ。素早く文字を打ち込み、返信を送る。電波に乗せて。

 

    ここが川の合流地点と似ているとすると、俺も1つの川なのかもしれない。そんな風に思えて、少し可笑しいような、同時に何か誇らしいような、これまで経験したことのないような不思議な気持ちになった。今のこの気持ちを上手く表現するには、どんな言葉が適切なんだろう。そんなことを思いながら次の授業へと向かう。

 

    道中、昔のクラスメイトをチラホラ見かけた。あんなに毎週顔を合わせたクラスのみんなは今やそれぞれ別の友達といたりして、なんだかそれが少し寂しかった。10いくつかの川が混じりあったクラスという1つの川も、今やもっと大きな大学という川に吸収されてしまったのだろうか。

 

    今、大学の敷地のちょうど真ん中を歩いている。たくさんの人がいる。こんなに大きいのに、これでもまだ「川」なんだもんな。まだ見たことがないけれど、海はもっと大きいのかと思うと、圧倒された。

    

思念体化してオブザーバーになりたい

 

    突然なんですけど、俺、可愛い女が好きなんですよ。いきなり何言ってんだって思われているかもしれないですけど。

    だってそうじゃないですか。悪い言葉になるけどブスと美人で中身が全く一緒なら美人選ぶでしょ。美は醜より優れているんです。それは仕方ないことなんです。道理なんです。

 

    今これを読んでいる人の中に可愛いもしくは美しい女性の方がいたら、唐突に降りかかった身の危険に身構えていることでしょう。でも安心してください。

    俺は可愛い女が好きだけど、別に見ているだけで良くてそれ以上どうこうなりたいとはあまり思っていません。美術館で絵画を鑑賞するようなものなんです。見ることはあっても手出ししたりはしません。だから、安心していいです。本当に。

 

    この世は可愛さや美しさで溢れていて、SNSを開けばそこにはたくさんのモデルやアイドルが存在する。俺はそういう容姿の優れた人に大金払ってイベントに参加します。会うために。生で見るために。

    風俗とかそういうものに行ったことはないです。何故なら可愛い人や美しい人を肉眼で見るだけで俺は満たされるから。信じてもらえたでしょうか?安心してくれましたでしょうか?ならば構えた武器を置いてもう少し俺の話にお付き合い下さい。

 

    昔から観察することが好きなんです。SNSによくいる、趣味は人間観察とかプロフィールに書いて被写体とかやってるちょっと容姿が優れた結局はただの一般人の女、俺すっげー嫌いなんですけど、俺も同じ穴の狢です。

    もう少し化学が発達してSF小説とかで描かれるような世界が訪れたなら、俺は思念体化してこの世に留まり続けて世界を観測し続けたいと思ってます。本気で。

 

    ちょっと話が飛躍するんだけど、Twitterで知らない人からフォローされた時、あなたならどうしますか?どうしますって言うのはフォローを返すのを前提で。誰だろこの人?って気になってどんな呟きしてるかとか、その人のことを知ろうとしますか?

 

    俺はね、その人のアカウントをかなり詳しく調べます。ツイートはもちろんアップしてる画像や動画、プロフィールの紹介文、はたまたいいねした投稿まで。

    だってそれが礼儀じゃないですか。その人もきっと俺に興味を持ったからフォローしてくれたんでしょ?ならこっちも興味を持ってあげなきゃ。知ろうとしてあげなきゃいけない。だから俺はその人のアカウントを徹底的に見ます。

    生きてて一番ドキドキする瞬間は紛れもなく間違えていいねして見てるということを教えないように人のアカウントに探り入れてるとき。これに尽きる。

 

    話してて思ったんだけど、俺、怖いね。1歩間違えればストーカーだよこんなの。知り合いにコスプレイヤーやってるやつがいるんだけど、そいつはコスプレイヤーやってることをみんなには言ってないんだけど、ある時間違えてコスプレイヤーの活動してる方のTwitterアカウントから俺のツイートにいいねしちゃったんだ。俺、その時も徹底的にそのアカウント見たもん。

 

    モデルやアイドルじゃなかったとしても可愛い人ならアカウント徹底的に探り入れてるよ。だって興味を持たせるのが悪いじゃん。可愛いのが悪いよ。可愛く生まれてしまった自分、そして俺に見つかってしまったという不運を呪ってください。あと俺の友達もね。俺と知り合ってしまった己の運命を呪え。見られているかもしれないという不安を抱えろ。震えて眠れ。俺はいつでも君を見ているぞ。

 

    もう少し法律がネットというものに対応しだしたら、きっと俺が今やっていることは犯罪にカテゴライズされるかもしれない。いつまでこんなことできるかな。そうなる前に化学が発達して欲しいな。そして本当に思念体化してオブザーバーになりたい。

 

observer 意味:観測者

 

好きとか嫌いじゃなくて

 

    現代社会を生きる皆さん、こんにちは。今日も人間関係に疲れてますか?

    嫌いな奴に限って好かれますか?1人でいたい時に限って偶然人と会ったり誘われたりしますか?上司がウザイですか?かと思えば後輩もウザイですか?会いたい人に限って会えなかったりしますか?

    波風立てぬべくとやり続けた愛想笑いが戻せなくなっていつしか普通の顔が出来ないようになりましたか?だとすればそれはさながら絵画ですね。現代アートですよ。あなたの顔は。

 

    理想論を言えば嫌いな人とは関わらずに好きな人とだけ関係を持って生きてくのが一番なんです。でもそれはできないんです。俺たち日本人は礼儀とか作法とかそういう首の締めあいが大好きだから。本当は誰もできるならしたくないのに。

    首を締められると息が出来なくなって死ぬのは当然のことです。だとすれば殺られる前に殺れ。自然の摂理。俺たち人間も結局は動物なんです。息苦しい世の中というか国ですね。

 

    俺はまあ多少の人間関係のストレスは抱えてるけど、でもきっとみんなよりかはマシだと思ってます。みんなの押し付けられて今にも破裂しそうになってる精神、いや心よりかは。個人的に人間関係のストレスを軽減するような生き方のコツのようなものがあるんですけど、よろしければ参考程度に聞いていかれませんか?

 

    そもそも俺は好きな人嫌いな人という前提が間違いだと思ってます。俺は好きな自分でいさせてくれる人と関係を持つようにしています。

    例えばあなたがLINEとかのアイコンに自分の写真を設定する時、数ある自分の写真の中からあなたが選んでいる写真は、きっと無意識のうちにあなたが人から見られたい自分の理想に一番近い姿のものなはずです。最近の言葉で言うなら盛れているものだとか。

    人にはそれぞれそういうものがあって、そういう人から見られたい自分の姿ってのはつまり自分が好きでいられる自分であって。人からそう見られたい自分ってことは即ちその姿で見られることには自信があるということじゃないですか。半目だとかちょっと鼻毛が出ている姿で写ってしまった自分をLINEのアイコンに設定できますか?できないでしょ?

 

    まず人を好き嫌いになるわけじゃなくて、その人といる自分を好き嫌いになるかの基準で関係を持つ人を選ぶということはわかってもらえたでしょうか?

    言いたいことはわかります。結局関わる人間を選んでるんだからそれが出来てたら今人間関係に疲れてないってことですよね。

 

    飲食店で料理を運んできた店員が空いた皿を持って厨房へと戻っていく時に、他の料理を運んでる店員とすれ違いざまに一言二言交わすとき、自分たちに見せていた店員の顔から友達とか知り合いに喋るときの顔に戻る瞬間を見た経験ありませんか?

    そういう色んな顔を使い分ける習性が俺たち人間にはあるんです。あの友達の前では図々しくなれないけど、別の友達の前では図々しくなれる、みたいなことありませんか?ありますよね。それはつまり顔の使い分けです。

 

    人と関係を築いてく過程で、好きでいられる自分を構築すればいいんです。初対面の人と会って、最初はお互い敬語だけど、だんだん敬語が外れて、冗談でキツい言葉も交わせるようになっていくような、そんな過程の最中に。

    そうすれば、関わる人を選ばずとも誰しもの前で好きでいられる自分になれるはずです。関わる人全てが好きな自分でいさせてくれる人に変わるはずです。

    幸い、人間関係なんてものは始まりはあっても終わりなんてなくて、言ってしまえば関係を築いてく過程の中にずっといるようなものなので、今から徐々に好きでいられる自分の顔に変えていけばいいんです。そうすれば時間はかかれども、きっといつかあなたの関わる人全てが好きでいさせてくれる人になる時が来るでしょう。

 

    参考になったでしょうか?なっていれば幸いです。それでなんですけど、勝手に話し始めて対価を求めるのはどうも道理がおかしいのは承知ですが俺の悩みを聞いてもらえませんかね。

 

    俺の悩み、それは演じることに疲れたって言うことです。俺、素の自分というか自然体の自分がどうも好きになれないんですよ。なので関わる人全ての前で好きでいられる自分を演じてるんですね。

    でもそうするうちに益々自然体の自分を嫌いになっていくし、最早人の前でいる自分か一人でいる時の自分のどちらが自然体なのかわからなくなってきてて。でもとにかく人の前で好きでいられる自分であり続けることにたまに疲れ切ってしまうことがあるんですね。

    どうすれば自然体の自分を好きになることができますかね?参考にしたいので誰か教えてくれませんか?

 

    

これ以上深まらない親密度を深めるコツ、それは一度離れてみること

 

    今日は昔のバイトの先輩達と会って、ご飯を食べてきた。多分2年ぶりとかそれくらいに会った。2人ともバイトの頃から好きだった先輩だけど、さすがに2年ぶりに会うのは緊張した。

    こういう時、俺は緊張してるようには見えないけど沈黙が怖くてやたらといつも以上に話をしてしまう。最後にはもう自分でも何を言ってるかわからなくなってる。

    昔読んだ石左さんのブログで「沈黙恐怖症」というのがあったんだけど、本当にアタマからケツまで共感しかなかった。これに書いてあることは石左さんのことだけれど、俺もトイレと鏡台が怖いことを除いてここに書いてあること全て一致してるので、是非読んでみてください。

沈黙恐怖症 – 夏目新舎

 

    それで今日もある程度思い出話とか近況の話も済んで、話題と話題の間が長くなるにつれ俺の恐怖や焦りも膨れ上がり、だんだんと自分でも何を話しているかわからなくなっていったような気がする。もしかしたら軽く嘘とかもついていたかもしれない。間を繋ぐために。覚えてないけど。覚えてないというか覚えてたくないから無理やり忘れたのかもしれないけれど。

 

    バイトしていた当時、俺は猫を被ってた。本当は暗くて自分に自信がない人間なのに、真逆の人間を演じてた。たまたま明るい人達が集まったバイトだった。俺は、その中に一人暗い奴がいるとみんなに気を遣わせたりみんなのテンションを下げてしまうのではないかと思った。だから精一杯真逆の人間を演じた。幸い、人間はいろんな顔を持つという特徴があるので、特に苦もなくその役を演じきれた。そうしてそのバイトでの俺の顔は、俗っぽい言葉を使って言うならば陽キャとして認識されるようになった。

 

    人にまだ見せてない自分の顔、新たな一面を見せるのは怖い。だってもし自分の新たな一面を見たその人が、それを気に入ってくれなかったら。もっと言うなら嫌われてしまったら。そう考えてしまうので、人に見せていない一面っていうのは大抵世間一般に欠点とされるものだったり、自分でも好きになれない自分だったりする。ギャンブル依存症、酒乱、ケチ、短気、無神経、傲慢。いろいろあるだろう。人それぞれに。そしてあなたはあなたの欠点や好きになれない自分を人にさらけ出すことができますか?

    俺は怖いよ、やっぱり。メルヘンチックな話じゃないけど、生まれた場所やら時代が一致して莫大な人間の中から巡り会えた人なんだから、出来れば嫌われたくない。なので中々自分の欠点や好きになれない自分を人に見せることは難しい。それに至れるまでに、かなりの関係を築かなければならない。きっと嫌われないだろうという自信を培わなければならない。

    俺の好きになれない自分は、暗かったり考えすぎてしまったり自信がなかったりする自分なんだ。冒頭で沈黙が怖くて変に喋りすぎてしまったことは覚えてたくないから忘れたなんて言ったけれど、でも今日1つだけその間に自分が言っていたことで覚えてることがあって。それは本当の自分とか明るい人間は演じてたっていうカミングアウト。

    2人のことはバイトしていた時から好きだった。でも言ってしまえばバイト先の先輩後輩という間柄だけというわけで。バイトしていた当時に自分が猫を被ってるというカミングアウトはきっとできてなかったと思う。じゃあ何故今は出来たのか。それが例え、沈黙を防ぐために出た咄嗟のものであったとしても。別に、外国人の彼氏がいる女ってデフォルトでドヤ顔ですよね、なんて言ってもよかったのに。なんで言えたのだろう。

 

    それは逆に2年ぶりに会うからなのかもしれない。バイト時代、2人に今日みたくカミングアウトしてもし嫌われてしまえば、嫌われてからもバイトで毎日顔を合わすことになるわけなのだから、そんなの相手も不快だし俺も辛い。みんなが損しかしない。だから言えなかったのかもしれない。

    でも2年ぶりに先輩の方から連絡が来て。それは俺にとって、所詮バイト先の先輩後輩程度の関係って思われてるんだろうなって考えの否定になるわけで。バイトという繋がりがなくなった今でも会ってくれるということは、もうそれ以上の関係で、そしてその中でも俺の存在を大事に思っていてくれるのかもしれない。だとするなら、条件は揃った。自分の欠点等を晒せるほどの関係性も築けた。嫌われないだろうという自信も持てた。

    そういうロジックで俺は今日カミングアウトをしていたのかもしれない。今日の事をもって、俺は疑問に思った。人と関係性を深めるにはある程度まで到達すると、そこからはもうどれだけ一緒に過ごそうがそれ以上深められないのかもしれない。さらに深めるためには一度離れることも大切なのかもしれない。そう思いました。みんなはどう思いますか?

 

    あ、あと最後に一つだけ。人はそう簡単に人を嫌いになったりしない。今日だって先輩2人は本当の俺を見て、幸せになって欲しいなんて言ってくれたし。いや別に俺幸せなんだけどね。嫌いな自分を嫌わずにいてくれて、尚且つ幸せまで願ってくれる人が周りにいるんだから。こんな幸せなことねえよ。だから怖がることなんてなくていい。あなたの欠点がなにかは知らないけれど、思いきって見せびらかしてみよう。もしそれで嫌われた時の責任はとれないけどね。それでは。