忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

「また」の魔法が解けるのが怖い

 

    「ばいばい、また明日!」

 

    そう言って、夕方から夜に移り変わる微妙な塩梅の空模様の中、小さくなってく友達の背中を見守る。一息ついて、自分も帰路につく。明日は何して遊ぼうかななんて今のうちから考えながら。

 

    でも歳を重ねて環境が変わるごとに、毎日会えてたやつに毎日会えなくなっていく。そういうやつとの別れ際には「また」とは言うがその後に「明日」とはつけない。

    だって明日会えるかどうかわからないから。でもそいつとの関係性をつなぎ止めておきたいから、保留するように、先延ばしにするように、とりあえず「また」と言っておく。

    その後に具体的な日時を指定するような言葉を付け加えることは無粋だから、しない。

 

    しないんだけど、もしかしたら、とりあえず放った「また」が、もしかしたらこの先ずっとこないんじゃないかと思うことがある。

    もし来なかったら、そいつとの関係性はもう終わり?他人との関係を保留できるはずの魔法の言葉も、時として魔法が解けてしまうこともあるってこと?

 

    俺みたいなひどく寂しがりの人間には、誰か一人でも失うことが辛いし怖い。

    でも、しばらくして自分から連絡をとって会う約束をとったりするのは嫌だ。

    嫌というか、人に明らかに好意を向けるのも怖い。自分はそいつが大好きでも、もしかしたら相手は表面上取り繕っているだけで、もしかしたら俺のことを嫌いかもしれないし、だとしたら好きだからこそ嫌な気持ちにさせたくないとか思う。思ってしまう。自己肯定感の低さが故に。

    だから嫌な気持ちにさせてさらに嫌われると思うと、怖くて好意が向けれない。

 

    「また」という言葉に、大体半年以内とかいう認識というかイメージがつかないかなあ。

    そうでもないと、偶然を装いわざと出会うことで、「また」という不確かな未来を強引にもぎ取る俺みたいなストーカーまがいの人間が増え続けると思うんだ。

 

    そういう話。