忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

季節に別れを告げて

 

    最後に外に出たときは夏を彷彿とさせるほど暑い日だった。しかしあれは突発的に暑くなっただけで、数日するとまた少し冷え込んだ。まさに季節の境目だ。

    だから俺は今から外へ出るのに、どんな格好が相応しいのかがわからない。半袖で出てみて、それで寒かったらどうしよう。長袖なんか着て、それで暑かったらどうしよう。悩みに悩んだ末、結局俺は半袖の上にナイロンのパーカーを着て出ることにした。暑かったとき脱げるし、脱いでもさほど邪魔にならないので。

 

    外へ出てみると、寒くはないけどかといって暑いほどでもない、春らしい気候だった。関係のない話だが、5月は春という認識であっているのだろうか、と毎年疑問に思う。

    あえて天気予報に頼らず、自分の勘を信じて服装を決めた俺は、その勘が見事に的中したので気分がよかった。

    しかし歩き始めて10分程経ったところでわかった。動いていると暑い。ナイロンのパーカーはどうやら今日に相応しくないようだ。その証拠にさっきから行き交う人は皆、半袖とか薄手のシャツ1枚とかそういう格好をしている。季節に取り残されている。俺だけが取り残されている。

 

    こういうとき、俺は本当に落ち込む。季節感とか、曜日感覚とかそういうあらゆる時間感覚は、朝起きて三食食べて外に出て仕事や勉学に励み人と話して夜に寝る、そういう人間らしい生活を送っていると当たり前に身につくものだ。

    つまり俺に時間感覚のズレがあるのは、人間的じゃない生活を送ってるからであって、それに気付いたことやこれまでそれに気付かなかった自分の愚かさとかが嫌になる。俺という一人の人間が否定されたような気分になる。

 

    前から歩いてくる老人が、仲睦まじく歩く四人の家族が、若いカップルが、あの人が、この人が、みんな俺を見て、言う。暑そうだ、と。言われてるような気がする。

    辺りを跳ぶ蝶が、青々とした桜の木々が、花壇に咲く色とりどりの花が、俺に言う。そんな格好で暑くないのか、と。言っているような気がする。

 

    すぐにパーカーを脱いだ。これで一見今日に相応しい格好になったかのように思えるが、俺が右手にかけるそれは、やはり俺に季節感がないことを皆に教えている。示している。みんながこれを見ている気がする。心なしか、服が重たくなったように感じる。

 

    このパーカーと別れを告げなければいけない。そうすることでやっと、俺は季節と別れを告げることができる。冬から、春へと進める。皆と同じ、「今」へと行ける。そんな気がした。

    

    一度、家に戻ってパーカーを脱ぎ捨て、半袖一枚になって再び外へと出た。春らしい長閑な日だ。でも少し、暖かさの中に夏の到来を予感させるものがある。あともう少しすると、夏日が始まりそうだ。だから俺は5月は春なのか夏なのかわからないのかもしれない。とにかく、春も終わりが近く、夏がすぐそこに迫ってきている。

 

    踏切沿いの自販機でサイダーを買って、これみよがしに飲んだ。