忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

双子じゃなくて良かった

 

    動画で聞く自分の声に、キモッッッッって思った経験みんなあるよね?俺はある。数え切れない程ある。もう動画で自分の声聞く度毎回思ってる。人間なんだし学習能力くらい備わってそうなもんなのに、毎回初めて自分の声を客観的に聞きましたばりの新鮮な感じでリアクションしてる。あれなんでなんだろ。

    結局人間は客観的に見た自分に嫌悪感を抱くもんなんだろう。なんの確信もないけどなんかそんな気がしてる。客観的に見た自分を好きでいられる人間に出会ったことがないからだろうか。自分の経験の中にないことをそれをイコール普通だと認識しているのかもしれない。視野が狭いな。嫌だな視野狭いの。

 

    俺、あんまり視野が狭い人が好きじゃなくて。つーか嫌い。今の俺がまさにそうなんだけど、自分の経験則を基準に勝手に「普通」を定義して、それを信じて疑わない人。話しようとしても話にならないんだよ。何言っても、俺が普通でお前が普通じゃないから聞かないみたいな態度とるの。やってらんない。マジで。やってらんない。

    だから俺は普段からなるべく視野が狭くならないことを心がけてる。じゃあ視野が狭くならないようにいるためにはどうすればいいと思う?これは俺個人の意見なんだけど、客観的視点を持つことだと思う。例えばあなたと反対の意見を持つ人がいたとする。こういう時、俺は視野が広い人なら時と場合によっては自分の意見も柔軟に変えれて、賛同できない時も否定こそせず相手の意見を理解しようとする人だと思う。相手がそういう意見を持つまでに至った経緯とか背景をいろいろ想像して、できる限り相手の意見も、それが例え自分が賛同できないものでも尊重する。そういう人に俺はなりたい。

 

    そういうわけでなるべく客観的視点を働かせて日々を生きている。自分のことも客観的に見ながら。で、ここで最初言ってたことが関係してくるんだけど。客観的に見た自分には嫌悪感を抱くんだよ。この際みんながみんなそうじゃないとかはもうどうでもいい。でも俺にはこれが当てはまる。そう、つまり自分が嫌いな視野が狭い人間にならないように生きてたら自分に嫌悪感抱くの。なにこれバグ?どうしろっていうの?

    俺の自己肯定感があまりにも低かったりするのは自分に嫌悪感を抱きながら生きているからだろうか。自分を客観視して、それで嫌悪感が生まれて自己肯定感が低くなって、ウザイくらいに謙虚にいようとする自分を客観的に見てまた嫌悪感が生まれる。負の連鎖。連鎖って聞くとぷよぷよ思い浮かべるね。連鎖なんて言うくらいだからいつか全消しなんてテロップが軽快なサウンドと共に出てくれてもいいのに。消えるどころか募っていくの。それにどこまで積んでもゲームオーバーにならないの。何このクソゲー。終わるには根元から電源切るしかない。それってつまりスーサイド。リセットボタンなんてない。

 

    もし双子に生まれてたら、と想像した。ただでさえ自分の内面を客観視して吐きそうなほど嫌悪感積み上げてるのに、その上自分の生き写しみたいなやつを物理的に客観視するの。そんで自分の外見の要素にも嫌悪感生まれる。俺、自分の笑った時の口元が嫌いで。歯並びが悪いのが特に目立つんだよ。写真とかでたまに見る度にちょっと嫌な気持ちになるんだけど、双子だったらもっと高頻度にそうなってたってこと?想像するだけでキツい。吐きそう。どんだけ嫌悪感積めばいいんだよ。それこそ根元から電源落としてたかもしれない。良かった。双子じゃなくて。

 

※別に双子を悪く言ってるわけではなくて、もし俺がそうだったらってだけの話です。気を悪くされた方がいましたらすみません。

俺も、お前も、みーんなアイドル

 

    例えばなんだけど、あなたが誰かと何かについて話し合いまたは意見交換してるとするじゃないですか。その時に、近くで聞いてただけのやつが「えーそれは違くなーい?俺はこう思うなあ。」なんて入ってきたらウザイじゃないですか。どこから湧いた?てめえどこ中だコラ?って思うじゃないですか?人間誰かに役割以上の働きをされるとムカつくんですよ。よーいドンで虫酸が走り出すんですよ。正式に近くで聞いてたんですけどそれに関して違う意見があるので言ってもいいですか、いいですよのやり取りを踏まえて入ってくるなら俺は何とも言いませんよ。でも君そんな前提なしにズカズカ話に入ってきたじゃんか。ならば俺は言いますよ。失せろカスって。

 

    思うんだけど最近役割以上の働きを行うことが世の中で通例化してきるんだよ。それはつまりイライラする世の中って訳だ。ただでさえストレス社会なんて言われる昨今、これ以上余計なイライラを与えないでほしい。なあ。俺はお前らに言ってるぞ。アイドル気取りの声優共。

    声優って言葉の意味知ってる?声の役割を任せられた俳優・女優、略して声優。キャラクターの裏で声を務める人が表舞台に何食わぬ顔で立ってるってねえそれどういう了解?「えっ!?声優って声だけの役割なんですか!?」なんて言ってるやつらは即刻座学からやり直せ。声優の定義から学び直せ。ボイトレとか実技なんてまだまだてめえらには早すぎる。

    アイドル気取りの声優は役割以上の働きをしてる代表例だけど、他にもアイドル化してる職業はたくさんある。例えばYouTuberとか。イベントでリスナーがペンライト降ってキャーキャー言ってるんだぜ?こんなのアイドル以外の何物でもないだろ。て言うか今の日本のなんでもかんでもアイドル化する波がエグい。そしてイライラが募って仕方ない。

 

    なんてことを前までは思ってたんだけど、実は最近考えを改めたんだ。突然ですが皆さんアイドルっていう和製英語の語源になった英単語「idol」の和訳をご存知ですか?これ実は「象徴」っていう意味なんですよ。そんで皆が日常生活で「アイドル」って言葉を使う時それは何を指してますか?嵐とか乃木坂46とかのことですよね。じゃあ嵐または乃木坂46からどんな印象を受ける?そうだよね、「可愛い」「かっこいい」だよね。つまりアイドルって言葉は「可愛い」「かっこいい」の象徴なんですよ。

    じゃあアイドル気取りの声優とかYouTuberを見てみましょう。どうですか?可愛くないですか?かっこよくないですか?じゃあここで「象徴」という言葉の定義を見てみよう。

しょうちょう【象徴】 《名・ス他》

主に抽象的なものを表すのに役立つ、それと関係が深いまたはそれを連想させやすい、具体的なもの。

    「可愛い」「かっこいい」って言葉は抽象的だよな。だって人によって基準がそれぞれなんだから。そりゃアイドルで溢れかえるわけだ。人の数だけ「可愛い」「かっこいい」があるんだから。俺なんて1人で何個も「可愛い」の基準を持ってますよ。マイオンリー可愛いを。

    君から見た俺はこの世で最も醜い見た目の生物かもしれないけど、他の誰かから見た俺はこの世で最もかっこいい男性に映るかもしれない。まあ、仮にそんな人がいたとしてもそれ以上に俺を醜く思う人の方が多いだろうし、その割合の兼ね合いで俺は世間一般的に醜いということになるんだけど。でも俺のことがかっこよく見える人ならその人だけの世界でいえば俺は紛れもなくかっこいいわけで。今これを読んでる君も人からブサイクだと言われようが、自分でブサイクだと思ってようが、世界のどこかにいる誰かにとってはあなたは最も美しく見えるわけで。その時君は美しいの象徴、つまりはアイドルになる。だとしたらアイドル化が進んでアイドルで溢れかえる今の日本の社会にも頷ける。

 

    つまりさ、こういうことなんだよ。

 

    俺も、お前も、みーんなアイドル。

令和はどんな音楽が流行るんですかね

 

    俺には音楽くらいしか趣味がないからまた今回も音楽の話なんだけど。音楽ってなにも文字通り音を楽しむものではないんだ。いや正確には音だけを楽しむものではないということで、そこにはちゃんと詩というメッセージがあってそれらを吟味する楽しみもある。たしかにDJとかクラシックは音だけではあるんだけど、今回に関しては大衆的な音楽、ポップスをイメージしてほしい。

 

    俺は最近父親の知り合いがやってるスナックで週末だけたまに手伝いをしてるんだけど、そのスナックってのは所謂場末で。来るお客さんはだいたいマスターの知り合いだったり地元のおじちゃんおばちゃん。スナックってのはお酒飲みながら話したりカラオケする所なんだけど、夜も深くなってきて次第に話すことも尽きてくるとカラオケが始まる。

   

    この間マスターの先輩にあたるおじさんが来てたんだけど、曲をカラオケに転送して歌い始めるまでのイントロの間ずっと俺に曲の説明して最後にいい曲だから聴いててなって言って歌い始める。

    それで何曲か聴いたけど俺にはあんまり良さが伝わらなかったから聞いてみたんだ。いい曲の基準ってなんですかって。そしたらおじさんはちょうど今歌い終わった曲を例に挙げてこの曲の歌詞にはこういう心情でメッセージが込められててそれが良いんだって言った。

    たしかに俺は音楽は音だけを楽しむだけのものではなくて歌詞という形で表されるその曲に込められたメッセージも楽しみもあるなんてことを言ったが、それでもやっぱり俺はボーカルの声やらメロディを最も音楽に於いて重視してる面があるし、早い話歌詞を重視して音楽を聴く経験値が浅かった。

 

    なので俺は家に帰ってこれまで聴いた音楽これまで聴かなかった音楽問わず歌詞に重きを置いて聴いてみたんだ。そうするとこれまで聴いていた音楽をさらに好きになれたり、これまで聴かなかった(好まなかった)音楽に好きな一面を見れたりと大きな発見ができた。でもそのおじちゃんが歌ってた曲は家に帰って再度歌詞に注目して聴いてみてもあんまり好きにはなれなかった。

 

    音楽も1つの芸術なわけで、絵画とかの他の芸術のように時代の色を強く受ける。絵画に近代絵画とか印象派とかそういう言葉があるように。もちろん演奏法とかにも社会の色は強くあるんだけど、俺は歌謡曲やポップスの歌詞にも強く社会の影響が出ていると感じた。その証拠にそのおじさんがいい曲と言っていた演歌や歌謡曲の歌詞の世界観には昭和がみっちりと詰め込まれていて、平成生まれの俺にはそれがあまり共感したり理解できるものではなかった。俗に言うジェネレーションギャップ。

    平成の曲って、俺のイメージだけど歌詞に心の弱さが出てたり自らを鼓舞したりするようなものが多い。時代的に今はみんなが病んでるから、煌びやかなステージの上で歌ってる私も本当はこんな風に情けない心だよって安心させてくれたり、寄り添ってくれるようなそんな感じ。対して昭和の曲は、男が外で稼いでくるから女は家のことしてろ!男のやることに女が口を出すな!男なら男らしくあれ!みたいな男尊女卑じゃないけど、鼓舞と言うよりは説教されてるようなそんな曲が多くて。それがどうしても平成生まれの軟派な俺には受けつけなくて。理解しようと歩み寄ってはみたんだけど。無理なもんは無理だ。こんな時、昭和の曲なら、男なら無理なんて言うな!不可能なんてことはない!とか言うんだろうな。死ねクソが。ジェネレーションギャップなんてお前らが押しつけがましいから生まれてることにいい加減気付け。

 

    翌週もそのおじさんは来た。そして先週歌った曲を全く同じセットリストで歌って帰りやがった。デカデカと昭和と書かれた木材でタコ殴りにされている気分だった。客と店の人間という立場から、俺は抵抗も出来ず殴られ続けるしかなかった。あーあ、もう来ないで欲しいな。

 

    平成は心の弱さを吐露して、安心をくれたり寄り添ってくれる歌詞の曲が多い時代だったけど、令和はどんな時代になってどんな曲が生まれるんだろうか。時代は繰り返すなんて言うけど、昭和の再来みたいな曲が流行ったら嫌だな。そうなった時は俺の唯一と言っていい趣味がなくなってしまう。希望を言えば今よりずっと情けなくてもいいんだよそのままの君が好きだよって安らぎをくれるメッセージが強くなった曲が流行って欲しいです。NO MORE 昭和。みんなは新しい時代に適応できる柔軟な思考と心を持とうね。それでは。

「彼女欲しい」って言うけどさあ

 

    言葉が好きだからか、どうしても自分の中に譲れないこだわりみたいなものがかねてからあって。例えば、音楽は「聞く」じゃなくて「聴く」と表記しなければならない、みたいな。まあ、実際は「聞く」は自然に音が耳に入ってくることで、「聴く」は意識的に耳を傾けることを指すから、これは俺のこだわりと言うよりは正しい日本語の使い方になるんだけど。でも、別に「音楽聞くの好きです」で伝わるじゃん?特に略語とか造語で溢れるこの時代なんだし。でもそれを踏まえて正しい日本語に執着するということで「こだわり」なんだ。みんなも気になる言葉ありませんか?

 

    正直、「音楽を聞くのが好きです」って間違った表記で文字を書かれることは、気にはなるけどそんなに気にするほどのことでもないと言うか、無性に食べたいものがあってそれを食べた時に「あ、そうでもなかったな」って食べてから気付くような、そんな些細な違和感なんだ。だから別に俺は音楽を「聞く」って表記する人に、正しいのは「聴く」だぞなんて訂正もしない。

 

    でもどうしても気になってしまう言葉の使い方が1つあって。それは、

 

    「彼女(彼氏)欲しい」

 

    この一言。は???欲しいってなんだ???彼女(彼氏)はものなんか???

【欲しい】

《形》1.自分のものにしたい。得たい。

    いや、本当は彼女(彼氏)っていう「存在」が欲しいって意味での言い回しだってことは重々理解してるよ俺は。でもどうしても「欲しい」って言葉の対象はものっていうところから、 彼女(彼氏)もよっぽどのことがない限り人であるはずだし、それをもの的なニュアンスで扱われると違和感大膨張。虫酸が全力疾走。大会記録樹立。

    でも他に良い言い回しがないし、あまりにも言われすぎてる言葉だから、無意識にそういう言葉を真似て使ってしまう自分が一番嫌い。そういう経験はよくあって、嫌いな言葉なのに他に良い言い回しがなかったり、みんなに言われすぎてるとどうしても嫌いなはずの言葉を無意識だろうが意識的だろうが使ってしまう。悔しい。

 

    そういうわけで、常々嫌いな言葉とかフレーズの他に良い言い回しがないかなって考えてたりする。今日ブログを書いたのは、嫌いな言葉のうちの1つに他に良い言い回しを思いついたからです。その嫌いな言葉ってのは、それこそ「彼女(彼氏)欲しい」の一言なんですけど。これからは「彼女(彼氏)欲しい」じゃなくて、

 

    「彼女(彼氏)になりたい」

 

    って言うことにしませんか??ほんと、お願いします。「彼女(彼氏)欲しい」って言い回し聞く度に俺の虫酸が走るので。もう俺の虫酸走りすぎて足も上がらないのに、それでも走ろうとするんですよ。地面に這いつくばりながら、それでも立ち上がろうとするの、少年漫画ばりに。俺の虫酸を休ませてあげてください。そういうわけでこの代替フレーズの使用を前向きに検討していただけると助かります。

    あと「普通に可愛いw」って言うのもやめてくださいね。普通じゃないから可愛いんで。矛盾してるんで。ほんと。辞書買え。読め。

思い出のタンス

 

    好きなモデルとかアイドルが巻頭グラビアに掲載されてる号の雑誌だったり、写真集とかが収まるべき所に収まらず、衣類、主に靴下とかをまとめてる棚の空いたスペースにとりあえず避難させている。しかし、あるべきところにないというのはやっぱり違和感だし、前々から片付けねばなあとは思いながらも面倒くさくて見て見ぬふりをしていたが、そろそろそんなこともしていられないので、重い腰を上げて棚の整理をすることにした。

    今現在疎開している雑誌類が要するスペース、そしてこれから増えていくだろう分の余分なスペースを確保しなければならない。そうするためにとにかく物を一度全部出す。いるものいらないものに仕分けして、いるものでも関係ないものは棚じゃなくて他の収納スペースにぶち込む。棚は趣味に関するもの(漫画、雑誌、写真集、CDとか)だけを置く場所だから。するとまあいらないものとか記憶にないものが出てくること。

    

    まず最初に出てきたのは昔誕生日にもらったメッセージが書かれたお菓子の箱。貰ったことはもちろん覚えてたけど、箱に書かれたメッセージとかを見てるとその時の会話とか状況とかそういうのまで鮮明に思い出す。「仕方ないからあげるわ」なんて笑いながら冗談交じりに言う割に、ちゃんと俺の誕生日を覚えてくれてたことに嬉しく思った時の心温まるあの感じとかまで蘇る。

    その他にも子供の頃サービスエリアで親に死ぬほどねだって買ってもらった金の龍が巻きついた剣のキーホルダーとか、ノリで買ったカードゲームのパックのレアカードとかも出てくる。そしてそれら全てに付随する思い出とか記憶が溢れかえってくる。

 

    昔の出来事が思い出せないとき、よく「忘れた」なんて言葉で表現するけれど、きっかけさえあれば事細かに全て思い出すことができるみたいだ。もしかすると、人間は遠い昔のことを忘れたわけじゃなくて今俺がタンスの中に片付けたことをどこに片付けたかわからなくなったようにに、人間の記憶の構造がちょうどタンスのようになっているとするならば、閉まってしまった思い出とか記憶をどこに閉まったかわからなくなっただけで別に忘れてたしまったわけではないのかもしれない。

 

    なんてことを金の龍が巻きついた剣のキーホルダーを見ながら考えていると、知らぬ間に時間が結構経っていて、片付けは結局明日に引き伸ばしにしなければならなそうだ。

 

    明日には片付け終わるかなあ。そもそも明日にまたやろうと思えるかなあ。

 

    頑張れよ、明日の俺。

 

人生なんて一発ギャグ

 

    子供の頃なんて、きっと誰でもイタズラしてしまうもので、俺も例に漏れずにイタズラしてはよく怒られて泣いていた。自分が怒らせるようなことをしているだけなのに、勝手に拗ねて親と距離をとりテレビの前に一人座っていた。

   でも子供なんて単純で、次第に興味はテレビへと移り、泣きながらも目はテレビへと向いていて。それで、少しでもおもしろいことがあると、涙は止まり、自然に笑みが零れる。

 

    それから少し年月は経って、中学生になった。中学生と言えば、気遣いとか遠慮が少しくらいはできて、少なくとも泣くほど悲しいときにテレビを見て面白かったら涙が止まって笑えるほど子供ではない。

    そんな中学生の頃に、当時付き合っていた彼女とやむを得ない事情で別れることになった。俺は泣きながら電話の向こうでごめんって言う彼女に、少しでも自分を責めて欲しくないから明るいトーンで仕方ないよなんて言って笑って電話を切って、そしてめちゃくちゃ泣いた。

    思春期だったから恋愛の話も家族としたくなかったし、自分の部屋に閉じこもってずっと落ち込んでた。切り替えねばと思って、テレビをつけてたけど涙は止まらなかった。でも、しばらく無心で見ていると、お笑い芸人が一発ギャグかなんかしたのが、それがあまりにもくだらなくて、気がつけば少し笑ってしまった。その時、お笑いってすげぇ、そう思った。

 

    そういうことがあって、それ以来お笑いが好きになった。本当ならこういう過去があると人はお笑い芸人になりたいとか思ったりするんだろうけど、別にそんなことはなくてただお笑いが好きになっただけ。でもお笑いが好きになったのは事実で、テレビでお笑いの番組とか賞レースは結構欠かさずに見ていた。

    すると今度はお笑い芸人になりたいとまでは思わなくても、なにかおもしろいことをしたい人を楽しませたいと思うようになってきて、気付けば俺はいつも冗談ばかり口走っていた。ただ俺が笑ってもらおうと思って言うことの大体はつまらないし、周囲の人はめんどくさかっただろう。そして、俺はそれに気付けないでいたし、なんなら自分の笑いのセンスは良いと勘違いしていた。それが一番笑えるな。

 

    俺が好む「笑い」というものは、なにかマイナスな或いは負の感情めいたものを陽気で明るいものに変えれる物だった。例えば、ブサイクをウリにして笑いを誘う芸人。ブサイクは美醜の醜にあたる。美醜という字は、反対の意味を持つ漢字の組み合わせで形成されるタイプの熟語で、美が良いものとするならば醜は悪いもの。しかしそれをあえて笑いに変える。所謂自虐ネタって言うやつだ。

    自分では好きになれない、もしくは世間一般的にコンプレックスだとされるものであえて笑いをとるということは、そこに人を楽しませるものという意味が追随されるということ。それってまさしく俺が好む笑いだ。そういうわけで俺はよく、DVを受けた過去とか、わりとめちゃくちゃな家庭環境(世間的にはってだけで俺にとっては普通なのだが)とかを自虐気味に語ることで人に笑ってもらおうとした。笑ってもらうことで、それを辛い過去ということにせずいっそ愉快な物にしてやろうと思っていた。

     俺が辛そうなとき、不幸の中にいるときにそれを笑えって言うのはそういうことなんです。

 

    そうそう、何度か事故にあった話を他の記事でもしましたね。去年の春に死にかけて、それから一年入院して。泣きながら飯を食って、痛い思いも何度もして。ずっとベッドの上で動くことも出来ずに天井を見ながら過ごす病院の個室は広すぎて、流れる時間も遅くて。右の人差し指は曲がったまま固まってしまって。元から下手だった字が、さらに下手になって。麻酔から目を覚ますと、ふくらはぎの当たりがぽっかりなくって。アキレス腱を摘出したんだって。それによってもう走ったりすることは一生出来ないらしく。でもそれ以来よくスポーツしてる夢を見るんだ。あんなにスポーツ嫌いだったのに。夢の中で走ってたらそのまま目が覚めて、その感覚がリアルに体に残ってるから汗をかいていて。シャワーを浴びようと起こした俺の体は、残っている夢の中で動き回ってた体の感覚とは全然違くて。ちょっとした段差を恐る恐る降りなきゃならないくらいで。そういえば今度、身体障害の適性試験を受けることになった。偏見とか持ってるわけじゃないけど、健常者として生きてきた俺には、その試験を受けることで訪れる大きな変化が少し怖い。とかなんとか言ってるけど、悪いのは全部俺なんだ。そもそも生きてるのが奇跡ってくらいの傷を負って、診断書もらったら症状が5回も改行されてやんの。なのに今生きてて普通に麻雀とか打ってんの。曲がった指で。ウケる。

 

    笑え。笑ってくれ。

 

    もちろん良いことも幸せなこともたくさんある俺の人生だけど、今のところもう1つの方との対比はまだまだ負けていて。これからどんどん変わってくだろうけど、今までがこれじゃこれから良いこと幸せなことがどんどん訪れて対比が覆る!なんてことは少し想像しにくい。となると、俺の人生は二つに一つで言えば不幸なものなのかもしれない。

 

    俺が死んだときはみんなたくさん笑ってくれ。俺の人生という、この自虐気味の一発ギャグを。どうか笑ってくれ。

How to 洗脳~洗脳の手引き~

 

    例えば、あなたの友人が気まぐれにいい部分を見せました。2人でコンビニに寄ってあなたはジュースを、友人はピノを買いました。コンビニから出るなり、ピノを開ける友人。1つを口に運ぶと、続け様にもう1つとってそれをあなたの方に向けて言います。

 

    「1個いる?」

 

    あなたは少し面食らいながら「ありがとう」、そう言ってピノを食べる。面食らったのは、その友人がそんな優しさを見せたのが初めてだったから。その友人に会うのは久しぶりで、しばらく会わないうちに変わったのだろうか?だとしたら、いい変化だ。これからもそういう優しさを持ち続けて欲しい。でもこれがもし気まぐれだったら。それは少し残念だ。

 

    じゃあ洗脳しよう。

 

    もしかしたら気まぐれっていう線もまだあるから、いっそその友人をいつもピノ1個くれる人間に書き換えてしまおう。方法は至って簡単。こう言うだけ。

 

    「6個しかないのに1つくれるなんて優しいね。」

 

    するとそいつは、ピノくれたことが気まぐれだったとしたら、それを褒めてもらえて嬉しく思うだろう。ピノ1個あげるだけでこんなに褒められるのか、と感じた友人はそれ以降あなたの前でピノを食べるとき、「1個いる?」と聞くようになります。その度にあなたは彼のその優しさを讃えましょう。そしてしばらくそれが続くと留めの一言。

 

    「お前はいつもピノを1つくれるよな。ありがとう。」

 

    はい、これで洗脳完了。それからはそいつ、褒めなくても必ずピノを1個くれます。もうその友人は勝手に自分のことをあなたに必ずピノを1つあげるやつと認識した。言葉のパワーって怖いよな。簡単に人を変えてしまうんだ。みんなも言葉の持つパワーに自分を変えられた経験はありませんか?俺はあります。

    大体いつも、「あの子気になるんだよな」って誰かに言ったら、実際は別に気になってなかったのにそれ以来気になってしまうし、まだ好きじゃないのに「好きかもしんない」って言うと、知らぬ間に好きになってる。それで付き合った人とは、別れてから俺は本当にあの子が好きだったのだろうか、と首を傾げる。これ、完全に自分が言った言葉に洗脳されてる。

 

    洗脳なんて言っても、たかがこれくらいのことかよ。そう思う人もいるでしょう。好きなあの子を思うように操りたかったですか?嫌いなあいつをめちゃくちゃにしてやりたかったですか?でも、ごめんなさい。洗脳なんて実際はこんなものなんです。そもそも、こんなこと書いてる俺が言うのもなんですけど、洗脳なんてしたらダメなんですよ。だから絶対、「困ってるときにお前はいつも俺を助けてくれるよな。」なんて言って、そいつを助けてくれるやつに洗脳して、困ったふりして金を借りるなんてしたらダメですからね。念押しもしたので、今回はこの辺りにしておきます。次回、How to 消息の絶ち方です。サヨナラ。