令和はどんな音楽が流行るんですかね
俺には音楽くらいしか趣味がないからまた今回も音楽の話なんだけど。音楽ってなにも文字通り音を楽しむものではないんだ。いや正確には音だけを楽しむものではないということで、そこにはちゃんと詩というメッセージがあってそれらを吟味する楽しみもある。たしかにDJとかクラシックは音だけではあるんだけど、今回に関しては大衆的な音楽、ポップスをイメージしてほしい。
俺は最近父親の知り合いがやってるスナックで週末だけたまに手伝いをしてるんだけど、そのスナックってのは所謂場末で。来るお客さんはだいたいマスターの知り合いだったり地元のおじちゃんおばちゃん。スナックってのはお酒飲みながら話したりカラオケする所なんだけど、夜も深くなってきて次第に話すことも尽きてくるとカラオケが始まる。
この間マスターの先輩にあたるおじさんが来てたんだけど、曲をカラオケに転送して歌い始めるまでのイントロの間ずっと俺に曲の説明して最後にいい曲だから聴いててなって言って歌い始める。
それで何曲か聴いたけど俺にはあんまり良さが伝わらなかったから聞いてみたんだ。いい曲の基準ってなんですかって。そしたらおじさんはちょうど今歌い終わった曲を例に挙げてこの曲の歌詞にはこういう心情でメッセージが込められててそれが良いんだって言った。
たしかに俺は音楽は音だけを楽しむだけのものではなくて歌詞という形で表されるその曲に込められたメッセージも楽しみもあるなんてことを言ったが、それでもやっぱり俺はボーカルの声やらメロディを最も音楽に於いて重視してる面があるし、早い話歌詞を重視して音楽を聴く経験値が浅かった。
なので俺は家に帰ってこれまで聴いた音楽これまで聴かなかった音楽問わず歌詞に重きを置いて聴いてみたんだ。そうするとこれまで聴いていた音楽をさらに好きになれたり、これまで聴かなかった(好まなかった)音楽に好きな一面を見れたりと大きな発見ができた。でもそのおじちゃんが歌ってた曲は家に帰って再度歌詞に注目して聴いてみてもあんまり好きにはなれなかった。
音楽も1つの芸術なわけで、絵画とかの他の芸術のように時代の色を強く受ける。絵画に近代絵画とか印象派とかそういう言葉があるように。もちろん演奏法とかにも社会の色は強くあるんだけど、俺は歌謡曲やポップスの歌詞にも強く社会の影響が出ていると感じた。その証拠にそのおじさんがいい曲と言っていた演歌や歌謡曲の歌詞の世界観には昭和がみっちりと詰め込まれていて、平成生まれの俺にはそれがあまり共感したり理解できるものではなかった。俗に言うジェネレーションギャップ。
平成の曲って、俺のイメージだけど歌詞に心の弱さが出てたり自らを鼓舞したりするようなものが多い。時代的に今はみんなが病んでるから、煌びやかなステージの上で歌ってる私も本当はこんな風に情けない心だよって安心させてくれたり、寄り添ってくれるようなそんな感じ。対して昭和の曲は、男が外で稼いでくるから女は家のことしてろ!男のやることに女が口を出すな!男なら男らしくあれ!みたいな男尊女卑じゃないけど、鼓舞と言うよりは説教されてるようなそんな曲が多くて。それがどうしても平成生まれの軟派な俺には受けつけなくて。理解しようと歩み寄ってはみたんだけど。無理なもんは無理だ。こんな時、昭和の曲なら、男なら無理なんて言うな!不可能なんてことはない!とか言うんだろうな。死ねクソが。ジェネレーションギャップなんてお前らが押しつけがましいから生まれてることにいい加減気付け。
翌週もそのおじさんは来た。そして先週歌った曲を全く同じセットリストで歌って帰りやがった。デカデカと昭和と書かれた木材でタコ殴りにされている気分だった。客と店の人間という立場から、俺は抵抗も出来ず殴られ続けるしかなかった。あーあ、もう来ないで欲しいな。
平成は心の弱さを吐露して、安心をくれたり寄り添ってくれる歌詞の曲が多い時代だったけど、令和はどんな時代になってどんな曲が生まれるんだろうか。時代は繰り返すなんて言うけど、昭和の再来みたいな曲が流行ったら嫌だな。そうなった時は俺の唯一と言っていい趣味がなくなってしまう。希望を言えば今よりずっと情けなくてもいいんだよそのままの君が好きだよって安らぎをくれるメッセージが強くなった曲が流行って欲しいです。NO MORE 昭和。みんなは新しい時代に適応できる柔軟な思考と心を持とうね。それでは。