忘れないように

単に記憶力が著しく悪いのか、それとも他に何か原因があるかわからないけれど、年々忘れてしまうことが増えています。その時を生きていた俺が死んでいるような、もう二度と手に入らないものがこぼれ落ちていってるような、そんな気がしてもうこれ以上失いたくないので、日々を書き留めたい気持ちがこのブログです。

あと何年生きられる?

 

    今日は通院の日だった。俺が診てもらってる病院はちょっと家から距離があって、前までは叔母に送ってもらってたんだけど、別に電車でも行けるし、ついでに道中で好きなラーメン屋に寄れるのでそうすることにした。

    三時からCTスキャンの予約が入ってて、それまでに血液検査も済まさねばならないので、大体二時半を目処にした。

 

    家から最寄り駅まで歩いて、終点まで行ってラーメン食って、そこからまた徒歩で違う電鉄まで行って送迎バスが止まる駅まで向かう。

    こういう風にまず頭の中で流れを確認して、次に一つ一つへの所要時間を割り振っていく。家から最寄り駅まで歩いて向かうのに大体五分、なんて具合に。

    ただ、ここで俺はなるべく前もって行動したい人間なので全て十分前に行動する。最初の家から駅まで向かうのに十分前もって行動すれば多少ズレが生じてもなんとかなりそうなもんだが、心配性な俺は一つ一つのステップに十分ずつ余裕を設けて頭の中で行動をプランニングする。

 

    結果俺は今日病院へ向かう送迎バスを一時間くらい待った。別に待つのは嫌いじゃないし、いいんだけど、どうも時間を無駄にしたことが悔しい。このブログでも何度か書いたが、俺は無駄なことが何よりも嫌いだ。

    このぼーっとバスを待っていた一時間が、例えば先に、未来に還元されるなら別にどうだっていいんだけど、そんなことはない。

    俺は長生きしたいわけでもないけど、生きてる間にやりたいこと成したいことがたくさんあるので、少しでも時間を無駄にしたくないし、何かに打ち込んでるときは生きてるって感じがして、逆に何もしてない時は死んでるみたいなもんと考えてる。

 

    そう考えると、俺は今までの人生でもこういう風に時間前行動しすぎた結果待つことがよくあり、それは膨大な時間を殺してきたことになる。その死んだ時間は、俺が生きれた時間だ。つまり寿命。

 

    ただ、それでもやっぱり時間前行動してしまうのは、自分が人を待たせたりすることになるとそれは誰かの寿命を削るということなので、そんなことするくらいなら俺は自分の寿命を削ることを選ぶからだ。

 

    大袈裟な話をしてきたけど、要は時間に遅れるのもよくないけど、事前に行動しすぎるのも自分のためじゃないよって話。俺は本気で生きる時間を無駄にしてるなんて風に考えてるけど。

    答え出てるならじゃあ事前に行動しすぎるのやめればいいじゃんって思うかもしんないけど、心配性な性格が無理やり俺にそうさせるだけだし、性格なんて変わらないから俺はこれからもずっとこうして自分をじわじわ殺しながら生きていく。